菊田神社

祭神 大国主命大己貴命)、藤原時平命 
七年祭での役割 叔父
275-0016 習志野市津田沼3-2



二宮神社(父・夫) → その一その二
大原大宮神社(叔母)→ その一





さて久しぶりの予定のない連休です。
かみさんは義母と、
クラッシックのコンサートを聴きに出掛けました。
留守番・男三人組はどこに行こうか?。
かみさんを駅に送り、
あてもなくウロウロしていると、
長男、「本物のボウリングがやりたい」と言い出します。
いいねぇ。たまには。
Wii Sportsでは、
かなりやりこみましたが、
本物は、姪と行った去年の3月以来のこと。



しかし津田沼のボウリング場は大混雑。
こうも暑ければ
涼しいインドアスポーツに向かうのは、
当然みんな考えることなんですねぇ。
待ち切れずにシッポを巻いて退散しました。




菊田神社   




その帰り道、
こちらの神社に参拝しました。




→ 「七年祭」関連の記事



二宮神社を中心とする、
七年祭りのお話は、
過去に何度か致しました。
こちらはその「叔父」にあたる役割を担います。




→ 下総三山の七年祭り - Wikipedia




このウィキの記事の通り、
この大きなお祭りの発祥には二説あり、
一つは、平安時代に、
菅原道真の怨敵・藤原時平の子孫が流れ着き、
この地に居住する際に、
地域を束ねる為に行われたという説。
そしてもう一つは、
室町時代の馬加城主の千葉康胤の、
嫡子出産の安産祈願を起源とする説です。



私は、前説によってこの地域のいくつもの神社が建立され、
後説の千葉氏がそれらの神社に安産祈願したことは事実で、
そのお礼参りが、大きな祭礼となって、
現代の七年祭りとなったのではないかと想像しております。



なぜなら、これらの神社の祭神には、
必ずといっていいほど藤原時平が祭られており
そして社紋に千葉氏の家紋が取り入れられているのです。



さてこちらは、
その伝説の発祥の地といっていい場所に立つ神社です。



菊田神社  



元々こちらには、
弘仁年間(810〜823)頃に建立されたといわれる、
久久田(くぐた)大明神と云われる神社が祀られていたそうです。
当時は海が近く、境内は小島で、
東西に岡があり、すぐ前は入り江になっていたそうなんです。
治承年間(1177〜1180)頃になって、
藤原時平の子孫、藤原師経と藤原師長の一族郎党は、
下総国へと左遷となり相模国から船に乗り、
この小島の社をみつけ上陸し、
祖先の時平を合祀して、住み着いたといいます。




後に師経一族は、この社の横に河口のある川を遡って、
その源流のある内陸部に移り住みました。
これが、現代ではどぶ川のような菊田川であり、
その地が二宮神社のある現代の船橋市三山です。
さて、この地で繁栄(?)した藤原一族は、
現代でいう千葉市八千代市にも広がり、
そこでやはり、藤原時平を祀りました。
これが七年祭りを構成する神社となっていったのです。
 



さてこちらの菊田神社。
久久田(くぐた)が時代を経て訛り、
菊田(きくた)になったものと思われます。
境内摂社には琴平神社や大杉神社が勧請されています。



この大杉神社の本社は、
茨城県稲敷郡にあるのですが、
当時はこちらの海産物を、
茨城にもって行き、
代わりに農産物を持って帰る商いが盛んで、
明治初期に天然痘が流行した際に、
この大杉神社のお札を祀ったところ、
流行が平癒したそうで、
この摂社が建立されたそうです。
現代でも3月15日に近い日曜日に、
「あんばさま」というお祭りが行われています。




→ http://www.city.narashino.chiba.jp/konnamachi/maturi/anbasama/




菊田水鳥公園   




さて元々神社のものであったと思われる隣接する池は、
柵で囲われ「菊田水鳥公園」として、
習志野市が管理しています。





あ、そうそう。
この「七年祭り」の神社もシリーズ化出来そうなので、
カテゴリー【七年祭】を新設します。



50位以下寸前・・・。(;△;)

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1位陥落・・・。(´_`)