萬松山 泉岳寺 〜浅野長矩及び赤穂義士墓・大石内蔵助良雄像〜

国指定史跡
併設・赤穂義士記念館
宗派 曹洞宗(江戸三箇寺)
本尊 釈迦如来
108-0074 港区高輪2-11-1
公式サイト http://www.sengakuji.or.jp/about/main.html




→ 大石良雄他十六人忠烈之跡
→ 「忠臣蔵夜咄」
→ 浅野内匠頭終焉之地
→ 皇居東御苑(松之廊下跡)
→ 赤穂浪士討ち入りの日
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今日も新規顧客獲得の為の、
飛び込み中心セールス強化Day。
我がチームはタヤパンと二人、
今日のターゲットは三田・高輪方面です。



しかしどうも今日は空回りばかり・・・。
夕方四時を過ぎて、第一京浜の「泉岳寺前」です。
気分転換に、泉岳寺にお参りしましょう。



なんていったって、
日本で一番、お墓参りの為の参拝客を集めるお寺は、
間違いなくこちら、泉岳寺でしょう。
ここに来たのは何年ぶりだろうか。
ブログを始めてからは、初めてのことです。




中門   




この総欅造りの中門は、天保七年(1836)建立。
扁額の「萬松山」は、中国の清代の禅僧、
為霖道霈によるものだそうです。




大石内蔵助良雄銅像遠景  大石内蔵助良雄銅像近景   





中門をくぐり、右手には、
大正十年(1921)12月14日に除幕された、
大石内蔵助良雄の立派な銅像が建っています。







  関義則作天井の龍   



その先にある山門は、天保三年(1832)に、
三十四世大道貞釣に再建されたものです。
天井には日本彫金の元祖とも呼ばれる、
関義則作の銅彫大蟠龍があります、
この龍は「江戸三龍」とも呼ばれており、
またこの山門の「泉岳寺」と記されたの扁額は、
晋唐の墨蹟研究者の大野約庵によるものだそうです。



本堂  本堂扁額「獅子吼」   




本堂扁額には文政二年(1819)の 「獅子吼」(ししく)の書。
なるほど、曹洞宗の江戸三箇寺であった、
学問寺であった「気合い」のようなものを感じます。





赤穂義士記念館 




さて夕方閉館間近の「赤穂義士記念館」
急ぎ早に拝観するも、なかなか興味深いものばかり。
講堂二階の「義士木像館」はもっとゆっくり観たかった。




首洗い井戸  血染めの石・梅   


さて、吉良の首を洗った井戸、
浅野の切腹の地から移転した血染めの石・梅をみて、
改めて、四十七士墓所に向かいます。




浅野長矩墓  浅野長矩夫人墓   



まずは、浅野長矩とその妻(瑤泉院)の墓にご挨拶。




浅野長矩墓および赤穂義士墓   



浅野家上屋敷の裏門であったものを、
明治の世に移された義士墓地入口の門をくぐり、
一番奥の、赤穂義士の墓へ。




大石内蔵助良雄墓  大石主税墓



主役級の大石親子の墓には、
小さな屋根が付いております。
しかし、ここの墓石にとって、
一番恐ろしい外敵は酸性雨ではなく、
墓参客の供養の為の線香の煙害なのだとか・・・。
まさに皮肉なものです。

   


三回忌地蔵尊   




これは、義士切腹の三回忌に建立されたお地蔵様。




堀部安兵衛墓  「刄」




このビックネーム、堀部安兵衛の墓に限らず、
義士の墓には、自刃の証しのように、
この「刄」という文字が見えます。



   
寺坂吉右衛門墓


しかし、この自刃をせずに、
天寿を全うし、後の慶応の世に建立された、
足軽寺坂吉右衛門の墓には、
「刄」の字はありません。




萱野三平墓




また、討ち入り前に切腹した、
萱野三平の墓には、四十七士としての説明がありません。



ついつい、「千古不朽」とされる、
「四十七義士之墓」とされた、
戒名が記されたリーフレットを求めると、
そんな物好きは最近まったくいないようで、
しばらく待たされてしまいました。





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