新・恥ずかしくない病気!! 通院・完治編 その七 (痔瘻完治手術)

次男の撮った彼岸花

 

新・恥ずかしくない病気!! 通院・完治編 その →       
新・恥ずかしくない病気!! 自宅療養編 その →        
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今週の金曜で痔瘻根治手術、術後二ヶ月。
ようやく一昨日あたりから、
ガーゼがまったく汚れなくなり、
昨日は一日"素"で外出致しましたが、
帰宅後確かめても特に支障はありません。
勝手に"完治宣言"としたいところですが、
再来週の通院での院長の診断を待ちます。



さて、これより、
いつもの九十九里へと出かけます。
一泊か二泊かは風まかせ♪。




前回のゴールデンウイークは、
成東歴史散歩からスタートしましたが、
今回のシルバーウイークは、
東金歴史散歩を計画しております。
詳細は帰ってからup予定。



それでは行って参ります。



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鳳凰山 本漸寺 〜東金城跡を訪ねて・酒井氏一族供養塔・宝篋印塔〜

宗派 顕本法華宗
本尊 大曼荼羅
283-0802 東金市東金1423



八鶴湖


さてやって参りました、東金です。
市街地を見下ろす小高い岡のような斜面を上がると、
どどーんとこの36300㎡の小さな湖、八鶴湖(はっかくこ)があります。




八鶴湖と次男


幕末に尊王家の梁川星巌や、
その弟子、遠山雲如が気に入って遊び、
雲如が詩に詠んで天下に紹介したそうです。
蒲が大量に発生してしまったそうで、
地元のボランティアがボートで刈り取っていました。
湖畔南には、なにやら歴史のありそうな建物がみえますが、
ぐるっとまわってからのお楽しみと致します。



安国山 最福寺



湖の南にはこの法華系単立の安国山最福寺があります。
千葉県内に何箇所かあるどこぞの最澄さんが創建し、
当然元は天台宗だったそうです。
文明十一年(1479)年に当時の住職が、
法華宗妙満寺派に改宗し、
後にここに城を移す土気城主の酒井定隆の援助で中興します。
妙満寺派は、顕本法華宗となり、
日蓮宗、本門宗と一緒になって日蓮宗となりますが、
戦後に旧顕本法華宗の一部が、
それより独立して顕本法華宗に戻り、
また他の一部は日蓮宗に残り、
他の一部は単立寺院となったそうです。
こちらはそんな"単立"選択組です。




日吉神社の鳥居



そのまま湖畔を北上すると、
湖の北東に日吉神社の鳥居があります。
実際、神社はここから遠い、
更に北東の丘の上にあるそうですから、
ひょっとすると東金城築城か、東金御殿造営の際に、
鬼門を封じる為に建立されたのかもしれません。
(実際神社にはお参りしていないので未確認です。)




鳳凰山 本漸寺



さてその今回の目当てである東金城跡、東金御殿跡に、
現在はこの鳳凰山本漸寺と県立東金高校があります。



本漸寺 境内


こちらはなんと曹洞宗のお寺だったそうですが、
お向かいの最福寺さんとに同じく、
法華宗妙満寺派となって、
顕本法華宗となり、日蓮宗となりますが、
後に顕本法華宗に戻った旧守派に属していたようです。



本漸寺 本堂



なかなか趣きのある本堂。
どうやら改修中の様子です。



本堂裏の洞穴


本堂裏の岩壁には、
この二つの洞穴がありますが、
僧の修行用なのか、
はたまた先の大戦防空壕か、
解説はまったくありません。




酒井氏一族 供養塔
酒井氏一族 宝篋印塔



さて、最福寺さんにも登場した東金城城主、
酒井一族の菩提寺ですから、当然、大檀那。
本堂左手にこの供養塔と宝篋印塔が、
所狭しと並んで建ちます。


千葉県の歴史散歩
さてどの辺りが東金城だったのか。
「千葉県の歴史散歩」によれば、

丘陵の尾根伝いに曲輪を連ね、
斜面には腰曲輪がめぐっている。
土塁、空堀もよく残っている。

とあり、その南西側の曲輪の先端には、
太平洋戦争時の敵艦への着弾を観測する、
コンクリートの施設や兵士の蛸壺が残っているそうです。



また、東金城廃城の跡は、
江戸幕府により東金御殿が造営され、
家康や秀忠の鷹狩りの際に使用されました。
そう、ここは我が家の前を走る、
東金御成街道の終着地点でもあるのです。




→ 「御成街道」関連の記事




東金高校 正門



この千葉県立東金高等学校が、
城、御殿のその一部であることに間違いありません。
しかし文化祭でもなければ、
勝手に立ち入る訳にもいきません。
この正門のレンガは陸軍のものと似ております。
噂によれば、こりん星のお姫様は、
この高校の出身とか。




東金高校内の歴史のある建造物



正門左手のこの独特の歴史のある建造物も、
結局なんなのか不明のままです。


閉鎖されていた遊歩道入口



お寺と高校の間にこの厳しい門があり、
どうやら遊歩道のようですが、
先日の台風の影響からか、閉じられたままのようです。



東金城の曲輪か



結局、城の現存する土塁や、
陸軍の施設がわからないままです。
ひょっとするとこの寺と高校の境にある、
この小山かもしれません。
後悔はしたくないので、根性で行ってみます。



東金城の曲輪を歩く



やぶ蚊にボコボコにされ、草の実だらけになって、
山を這いずりまわるも、結局何もありません。
・・・がっかりです。



八鶴湖の弁天堂



御殿造営の頃に建てられたと言う、
小さな弁天堂です。




放し飼いのアヒル



この弁天堂の周りには、
放し飼いのアヒルが数匹お散歩していました。



息子達のお気に入りの欅の大木
息子達のお気に入りの欅の大木



息子たちはこのケヤキの大木に惚れ、
じゃれつくようにまとわりついていました。


国登録有形文化財 八鶴亭



さきほど湖畔北東側から見えた、
南湖畔のこの建物は、
創業明治十八年(1885)創業、
登録有形文化財にも登録されている、
八鶴亭という料亭でした。
北原白秋伊藤左千夫も通ったそうです。



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九十九里浜 智恵子抄詩碑

283-0114  千葉県山武郡九十九里町真亀 サンライズ九十九里




東金九十九里道路




車は一路、東金九十九里道路を南下し、
九十九里町を目指します。



智恵子抄詩碑 入口





人気のある国民宿舎サンライズ九十九里の隣、
真亀海岸の砂浜のすぐ近くに、ひっそりと智恵子抄詩碑があります。
 


九十九里浜 智恵子抄詩碑




智恵子抄」、高村光太郎と智恵子の話は有名なので、
他にお任せすることに致しますが、
ここではこの碑についてのみ書きます。




智恵子抄詩碑 裏面




この碑は、地元の白涛俳句会や草野心平らにより
昭和三十六年(1961)に建てられたそうです。




智恵子抄詩碑 裏面碑文




私が熱心に写真を撮っていると、
年配の奥様お二人が、
裏面碑文を読んでみてくれと頼まれました。
正直、時間がなくあまり協力出来ずにすみません。
罪滅ぼしにここに写しておきます。



智恵子抄詩碑 正面


千鳥と遊ぶ智恵子


人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわって智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾あとをつけて
千鳥が智恵子に寄って来る。
口の中でいつでも何か言ってる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行ってしまった智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち盡す。

                      高村光太郎



智恵子抄詩碑 近くの九十九里浜




九十九里浜のどまん中、この真亀海岸は、
この日は千鳥の姿もなく、怒涛の大波が打ち寄せていました。




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武家屋敷門(旧本多美濃守屋敷門)

国指定重要文化財
283-0113 山武郡九十九里町不動堂579 山脇学園松籟荘内


千葉県の歴史散歩
またまた「千葉県の歴史散歩」によると、
この九十九里町には、
東大の赤門、東博の黒門と並ぶ、
日本三門の一つ、武家屋敷門があるそうです。




武家屋敷門




ヘッポコナビゲーターのかみさんの誘導で、
やっとのことでたどり着いたのは、
なんと女子大の施設でした。
当然、関係者以外立ち入り禁止で、
もう時間も遅かったので、
インターホンも遠慮しました。



覗き見た武家屋敷門



フェンス越しのまるで盗撮ですみません。




幕末八重洲古地図




元々幕末江戸は八重洲
現在の東京駅構内にあった、
老中、本多美濃守忠民の武家屋敷門。
五万石以上の大名にしか許されない様式で、
移築された現在は、幅十一間(約20m)ですが、
当時は長屋を含めると五十二間(約94m)もあったそうです。
山脇学園の所有となってこの地に移築したのはいいんですが、
折角の国の宝、重文ですから、
もっと公開してほしいなぁ。




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青木昆陽不動堂甘藷試作地

283-0113 山武郡九十九里町不動堂



→ 幕張秋葉神社・昆陽神社〜昆陽先生甘藷試作之地〜



おやおや、よほどこの連休は、
よほど青木昆陽とご縁があったようです。



青木昆陽不動堂甘藷試作地



青木昆陽不動堂甘藷試作地です。
この手の"発祥の地"はよく揉めるんですけど
史実は幕張もこの九十九里も同時に進行していたものなのでしょう。




関東地方甘藷栽培発祥の地 碑 正面 
関東地方甘藷栽培発祥の地 碑 裏面


「関東地方甘藷栽培発祥の地」碑です。
「関東地方」と限定されてしまうと、
他ではもっと早くにあったのか。と、悩んでしまいますが、
元々あまりサツマイモには興味がないので、
これ以上は調べません。
幕張の顕彰碑と同様に当時の知事、 
友納武人の書によるものです。 


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伊能忠敬像 その二 〜伊能忠敬出生地〜

283-0102 山武郡九十九里町小関



伊能忠敬像 → その一(富岡八幡宮)



もう日が暮れる寸前ですが、
最後にもう一件、立ち寄ります。
タヤパンが尊敬する千葉県が生んだ三大スターの一人*1
歩く江戸のグーグルアースこと、伊能忠敬


彼はすっかり同県の佐原の人とされますが、
伊能っちは婿養子です。
香取郡佐原村生まれではなく、
ここ山辺郡小関村の名主、神保貞恒の三男です。



彼が活躍したのは、
その婿の商家も隠居した50過ぎのことですから、
若き日のこの地は、関係ないっつちゃー実も蓋もありませんが、
そりゃぁ千葉の三大スター(←しつこい。)。
発祥の地は重要な拠点です。



伊能忠敬先生出生の地 記念公園入口



観光バスも何台も駐車出来る駐車場脇の細い路地。




伊能忠敬記念公園に行く道
コスモス



渋柿が落ちてつぶれていたり
路上でヘビがつぶれているような小路ですが、
路傍にコスモスが美しく咲いています
180mすすむと、なんてことはない公園に到着。





伊能忠敬記念公園 入口
伊能忠敬記念公園





伊能忠敬記念公園です。
正面中央に芝生広場があり、
右隅一角に碑がみえます。 



伊能忠敬先生出生之地碑


昭和十二年(1937)に建てられた、
伊能忠敬先生出生之地」と刻された碑です。



伊能忠敬生家の木



その碑の右隣には、
伊能忠敬生家の木」として、
太い紅葉の大木がありますが、
なぜか途中で切られています。
確かにこの太さなら、
生家にあった木であってもおかしくはありません。



伊能忠敬像
伊能忠敬像 近景



さて本題、銅像です。
伊能っちの銅像はここで紹介するのは二度目ですが、
実はもちろん佐原にもあります。
なぜか、みなアグレッシブなものが多いですねぇ。
こちらは測量中の様子です。



地方測量の図 碑



公園左隅トイレ脇には、
この「地方測量の図」の絵が描かれた碑があります。
おそらくこの地の子供達に、
「このおとっつぁんは、こうやって地図を作った偉い人なのだ。」
と、説明している涙ぐましい努力です。



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*1:日蓮伊能忠敬長嶋茂雄〜makoto-jin-rei勝手に選〜