鹿島神宮

常陸国一宮
祭神 武甕槌大神
公式サイト http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/
314-0031 鹿嶋市宮中2306-1





→ 香取神宮〜 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
→ 「一宮」関連の記事





鹿男あをによし (幻冬舎文庫)

鹿男あをによし (幻冬舎文庫)

→ 「鹿男あをによし」〜 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】




鹿男あをによし」を読んだら、
すっかり鹿島神宮にお参りしたくなってしまいました。
実は子供の頃以来のこと。




伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」と、
本来「神宮」の名を許された神社はたったこの三社のみでした。
これについてと、その関係については、
前にも一度書きましたので、
上の「香取神宮」の記事のリンクをご覧下さい。



この鎮座の地から「鹿島神」とも呼ばれるこの大神。
一説には、初代天皇神武天皇が東征での窮地を、
武甕槌大神の「韴霊剣」(フツノミタマノツルギ)の神威で救われたことから、
この神恩に感謝して即位の年(皇紀元年・紀元前660年)に勅祭したとも伝わります。
また実在したと思われる第十代天皇崇神天皇の代(紀元前97年〜紀元前29年)に、
疫病が流行した際、この大神が、
奈良の二上山の頂上に白衣で白桙を持って現れて、
我を祀らば小国も大国も汝がすべての国を安んぜよう。
との神示を受け、御幣物を奉納したともされていますから、
もちろん東国一の歴史を持つ大社です。
また一説には鹿嶋は藤原氏発祥の地ともされ、
その氏神春日大社は、祖神である天児屋根命比売神と同時に、
この鹿島・香取の大神、武甕槌大神経津主命を守護神として祀ります。
私も藤原氏の末裔の端くれ。こりゃ是非お参りせねばなりません。



鹿島神宮 大鳥居



久しぶりの家族四人揃っての小旅行。
我が家にしては珍しく
早いスタートがきれたので、
朝八時半に鹿嶋に到着。
大変珍しい東向きの大鳥居の周辺は、
まだ人出が少なく閑散としていました。





鹿島神宮境内案内図





思った以上に、広い境内。
私が事前に調べていた歴史の知識では、
今も滾々と湧く神泉「御手洗」で、
古くは身を清め、禊ぎ、参拝したそうですから、
参道が反対になってしまったのはいつの事でしょう。




鹿島神宮 楼門




寛永十年(1634)に水戸黄門徳川光圀のお父さん、
初代水戸藩主・徳川頼房に奉納された、
この華麗な楼門は、もちろん国指定の重要文化財




鹿島神宮 仮宮と摂社・高房社



この仮殿の前に堂々と鎮座する、
大神の子分格の建葉槌命を祀る摂社・高房社に、
まずお参りしてから本社に参拝するのが、
正式なスタイルだそうです。




鹿島神宮 拝殿
鹿島神宮 本殿




現在のこの社殿(本殿・石の間・幣殿・拝殿)と、
先ほどの仮殿も、
もちろん国指定の重要文化財
二代将軍・徳川秀忠が、
元和五年(1619)に奉納しました。




奥参道の樹叢と意味不明な帯状の盛砂




さて古来表参道であったはずの奥参道。
二十一万坪(70ha)鬱蒼とした樹叢は、
茨城県指定の天然記念物。
参道の中央から右寄りに、
意味不明な盛り土が帯状に伸びていました。
この正体は、後に判明致します。




昨日が流鏑馬だったのだ・・・





なるほど、昨日「流鏑馬」が行われたのか!!。
これは帯状の盛り土は馬が走った馬道だったのです。
なんとこの「騁躬」(うまゆみ)は天慶三年(940)に、
平将門追討の為、平貞盛藤原秀郷により始められて、
養和元年(1181)に鹿島家が継ぎ、今に伝えられる行事とか。




鹿島神宮 鹿園 



また奥参道中央左手には、鹿園です。
天照大神の命令を伝えた天迦久神は鹿の神ともされており、
また先ほど書きました春日大社創建の際にも、
この大神の御分霊は、神鹿の背にのって、
多くの鹿とともに一年がかりで奈良に到着したそうです。
その足跡が「江戸川区鹿骨」等で、
東海道三重県名張まで点々と残っているんだって。
そもそもここの地名も元は「香島」だったそうで、
この鹿とのご縁が「鹿島」になったとか。
現在ここの鹿園に囲われて暮らしている鹿たちも、
その奈良からの里帰りの系統らしい。




鹿島神宮 奥宮



奥参道突き当たり右手には、
やはり国指定重要文化財の奥宮です。
慶長十年(1605)に徳川家康が本殿として奉納したもので、
現在の社殿の「元和の造営」に際して、
ここに移設され奥宮となりました。
戦国時代遠からぬ頃の、質実剛健な造りです。




鹿島神宮 芭蕉句碑   武甕槌大神が鯰を踏む石像



さてここで参道は左右に別れます。
ここにある売店の前に、明和三年(1766)、
松尾芭蕉の句碑があります。
此の松の 実はえせし世や 神の秋
まずは右を選び、要石を目指すと、
その途中、大神が鯰を踏みつける石像があります。




鹿島神宮 要石  



ここが「要石」です。
大神が降臨した際の御座ともいわれ、
地震を起こすという大鯰の頭を抑えているともされています。





鹿島神宮 要石  鹿島神宮 要石 芭蕉句碑





わずかに頭頂部のみが露出していますが、
やはりあの眉つばミステリーハンター
水戸黄門が家来に掘らせても、
「七日七夜掘っても掘りきれず」だったとか。
同様の要石と同様の伝説が香取神宮にもあります。
ただの昔話のようですが、
実際に鹿島・香取には地震が少なく、
科学的に見ても活断層が少ないそうで・・・。
また大きな地震があったのは皆、「神無月」だったとか。
天つ神が、出雲に行くかどうかは、
あまりツッコまないでいてください。(笑)
そしてここにもまた芭蕉句、
枯枝に 鴉のとまりけり 穐の暮





鹿島神宮 御手洗  



再び奥宮前に戻り、左側に進み、
神泉であり、今も滾々と湧く、
古の禊の場「御手洗」へ。
溜息が出てしまうほどに、美しい碧き水面。
念の為「おてあらい」ではなく「みたらい」です。




鹿島神宮 御手洗 源流  鹿島神宮 御手洗 近景




今も一日400klの清水が湧いているそうです。
大人だろうが子供だろうが誰が入っても、
乳をこさないとされ鹿島神宮七不思議にも数えられます。
おっぱいがへその下までたれちゃったお婆ちゃんにも有効でしょうか。(汗)




鹿島神宮 御手洗 にかかる 大樹  鹿島神宮 御手洗 と 我が家族 




御手洗の上、鳥居に寄りかかり、
大樹の太い枝が伸びています。
我が家族は、拍手に寄って来る鯉に夢中です。




鹿島神宮 宝物殿  鹿島神宮パンフの国宝「直刀」





さて社殿前に戻り、最後のお楽しみにしていた「宝物殿」へ。
お目当ては茨城県唯一の国宝「直刀・黒漆平文大刀拵 附:刀唐櫃」。
当然写真撮影は禁止なので、パンフの写真ですみません。





奈良時代末期か平安時代初期の制作と推定され、
出土品ではない刀の中では、最古最大のもの。
なんと全長2.71m、刃渡2.24mの直刀で、
どうやら四ヶ所で刀身をつないでいるらしいのですが、
私の素人目にはその場所は不明でした。
これが神武天皇を救った「韴霊剣」であるともいわれますが、
時代考証が合いません。
館内の掲示では、オリジナルの「韴霊剣」は、
この神剣の神霊を祀る石上神宮に渡って戻らなかったので、
慶雲元年(704)に鹿島神宮の神山の砂鉄で作ったそうです。
とにかくこれは大迫力。すぐ下に、重さを体験させる為、
同じ大きさの鉄で作らられた模擬刀がありますが、
それは神の剣ですから、とても振り回せるものではありません。




鹿島神宮 芭蕉句碑 と 二郎杉



名月や 鶴脛高き 遠干潟
ここにもまた芭蕉句碑。
また境内最大の大樹は、ご神木で本殿のすぐ裏にあり、
近寄ることは出来ず残念ですが、
楼門左手には、樹齢700年の、
ナンバー2の「二郎杉」がありました。
ちなみに「二郎杉」って、
私がふざけている訳でもなく、
パンフにもある正式な名称です。




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塚原卜伝像

314-0032 鹿嶋市宮下2−11




「剣聖塚原卜伝生誕之地鹿島」



県道から鹿島神宮入口を入り、
すぐに左に下って行くと、
誰もいない寂しい広場に、
この「剣聖塚原卜伝生誕之地鹿島」という看板が立っています。




塚原卜伝像  塚原卜伝像 近景



どうやら地元出身の塚原卜伝の生誕五百年を記念して、
この銅像と記念碑が建てられたようです。



→ 塚原卜伝 - Wikipedia

 



鹿嶋市の商工会(?)等は、
この塚原卜伝を是非NHK大河ドラマにしてもらって、
町おこしをしたいと考えているようですが、
鹿島新当流の流祖とはいえ、
何分、戦国時代の一剣豪・一兵法家ですから、
一年間のドラマにするほどのエピソードは難しいでしょう。
宮本武蔵とは違い自著もなく小説も少ないです。



しかし折角のご縁でもありますし、
当ブログの看板記事【銅像】と【掃苔】に因み、
お墓にもお参りしてみましょう。




→ 塚原卜伝墓





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塚原卜伝墓

314-0047 鹿嶋市須賀




→ 塚原卜伝像




塚原卜伝墓入口  塚原卜伝墓近くの古い墓石



我がオンボロ・ラウムにはナビはなく、
道に迷いに迷ってようやくこと、
この「塚原卜伝墓入口」看板を見つけ、
車一台がやっとの幅のガードレールのない、
田んぼの真ん中を走る農道を進み、
どうにかこうにか、えっちらおっちら、
焼失した梅香寺跡という墓地に到着しました。
専用駐車場もありますが、
銅像同様、私達の他に誰もおりません。
かなり古い墓石が並びますが、子孫でしょうか、
真新しい「塚原家」なんていう墓石もあります。




剣聖塚原卜伝の墓下  



卜伝の墓のみ、墓地の上の高台にあるようです。
石段が整備されており、観光客ウェルカムの様子ですが、
なんとも寂しい風景です。



塚原卜伝墓の覆い屋根  塚原卜伝墓案内板と石祠部品




この覆い屋根の下に卜伝の墓石があるようです。
案内板の下に五輪塔や、僧侶の墓と思われる、
卵塔(無縫塔)の一部のようなものが並んでいます。




剣聖塚原卜伝の墓




剣聖塚原卜伝の墓です。
文字はかすかに残っていますが、
ほとんど読み取ることは不可能でした。





塚原卜伝墓石  塚原卜伝墓上より




この墓のある高台からみた里山の風景。
田植えも終わり、新緑がとても美しく映えていました。




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鎌足神社

祭神 藤原鎌足命・菅原道真命・宇賀御魂命 
314-0031 鹿嶋市宮中3354



さてお次は、藤原鎌足を祀る鎌足神社にお参りしまょう。
鹿嶋が一説に「藤原氏発祥の地」とされるのは、
ここが中臣鎌足、後の藤原鎌足の「生誕の地」があって、
「屋敷跡地」であるという伝承があるからです。




あの七世紀中頃に、この東国の辺境出身者が、
蹴鞠で中大兄皇子に近寄れるのかと考えると、
ちょっと眉ツバな伝承ですが、
藤原氏が鹿島・香取両神宮を守護神にした訳は、
なんらかのご縁があってのことでしょう。





鎌足神社 鳥居



ここも迷ってやっと到着。
案外、小さな鳥居です。




鎌足神社 小祠  鎌足神社 小祠下の石祠部品と白蛇の石




えっ・・・。この小祠だけですか。



しかし、この小祠の下には、
五輪塔と、石祠の部品のようなものと、
真っ青な石の上に、
まるで白蛇がいるかのように見える石が祀られていました。
祭神は藤原鎌足命の他に、
後に藤原氏を祟る、天神様、菅原道真命と、
お稲荷様、宇賀御魂命が合祀されているようです。



神社は大きさではありません。
祖先に感謝を込め、二礼二拍一礼です。



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きそば つか本

営業時間 11:00〜15:00 17:00〜20:30
定休日  水曜日
311-2424 潮来市潮来189



小旅行中とはいえ、
なんちゃってダイエッターのランチは今日も蕎麦。
この外食費は父ちゃんの小遣いですが、
折角ですから美味いものが食べたい。
潮来に移動し、地元で評判がいいという、
創業百年以上の老舗そば屋に行ってみました。




生そば つか本  つか本 店内





潮来の「きそば つか本」さん。
最近新築されたのか真新しいお店です。







おすすめランチ(1000円)




私の小遣いですから、
かみさんは遠慮なく「おすすめランチ」(1000円)。
でもこれはお得なメニューだと思います。
この蕎麦は一般の「もり」(530円)と同じ蕎麦粉ですが、
私と、最近蕎麦の味にうるさい次男は、
常陸秋そば」を利用した数量限定を選びました。





せいろ【数量限定】(750円)  




せいろ【数量限定】(750円)。




限定メニューであり、大盛りがダメなので私は二枚。
次男曰く「そば粉の香りが少し弱いかなぁ。」とのこと。





せいろ の アップ 




そりや、こりゃ茨城産の、秋そばだもの。
タスマニア産の新そばよりは弱いわな。
秋から初冬だったらかなりうまいと思うよ、これ。
・・・って、次男よ、お前、分るのか??。




 長男のカツカレー



アレルギーではないものの、
蕎麦があまり好きではないという長男は、
どこに出掛けてもカレーばかり。
今日は「カツカレー」(900円)。
兄弟でも食べ物の好みはかなり違います。




つか本そば店

食べログ つか本そば店





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海雲山 長勝寺

宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 阿弥陀三尊
311-2424 潮来市潮来428




長勝寺 山門



さて今日初のお寺は、
潮来名刹といわれる「長勝禅寺」。



長勝寺 楼門



立派な楼門ですが、なぜか左右ともに、
金剛力士・仁王や、四天王、風雷神等の姿がなく、空席でした。



長勝寺 本堂  長勝寺本堂内



源頼朝が、鎌倉幕府開府前の、
文治元年(1185)に、武運を祈って、
「長勝」と名づけて創建したそうで、
本堂である仏殿は、
茅葺の屋根の一重入母屋造は雄大で荘厳。
現在の堂宇は、元禄年間(1688〜1704)の、
水戸黄門徳川光圀の修復と造営ですが、
棟上に確かに源氏の「笹竜胆」の紋がありました。
本尊は「阿弥陀如来三尊」。
寺宝はやはり水戸家ゆかりの宝物が多いそうです。



長勝寺 鐘楼  長勝寺の梵鐘



しかし寺宝第一とされるこの鐘楼の梵鐘は、
北条高時寄進の元徳二年(1330)の鋳造で、
元から招き鎌倉円覚寺等に住した清拙和尚による、
「客船夜泊常陸蘇城」と、
潮来の景観が蘇州を彷彿とさせるという漢詩が記されています。




長勝寺 本堂裏の門  長勝寺 本堂裏の菩薩像



仏殿の後ろの庫裏・書院には、
「ふれ愛観音」と名付けられた黄金の菩薩像。





長勝寺 本堂裏の庭  長勝寺 芭蕉句



牡丹が咲く禅寺らしい美しいお庭もありました。
またここにも松尾芭蕉の句碑があります。
旅人と 我名呼ばれむ 初時しぐれ




長勝寺 勢至菩薩堂  長勝寺 勢至菩薩堂内




ただ境内左手のこの勢至堂と勢至菩薩の由来については、
調べてみても、まったく不明のままです。




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水郷国定公園 潮来十二橋めぐり

潮来遊覧船組合
311-2424 潮来市潮来109-12
公式サイト http://www.itako-yuuransen.com/index.html





駅前の「ようこそ潮来へ」のネオン




まだまだお参りしたい神社仏閣は多数ありますが、
次男はともかく、今日は長男とかみさんもおり、二人はすでに、
飽きたー。」「つまらなーい。」「疲れたー。
・・・の、三拍子モードに入っています。
一般的(?)な観光スポットを探しに、
潮来駅前の観光案内所にやって来ました。
しかしこのネオン看板「ようこそ潮来」は、
逆にもう凄い存在感を放っています。




潮来遊覧船組合  この船で潮来を出発




潮来といえば、やはり水郷。
「舟遊び」は必須でしょう。
色々な組合が、様々なコースを運営しているようですが、
よく分らずにこの「潮来遊覧船組合」へ。
たまたま声を掛けられたおばちゃんが船頭のようです。
オフシーズンは、五名様まで一艘各コース○千○百円〜のようですが、
この時期になると乗り合いで一人1360円の最長70分コースのみとか。
どこの組合もこの値段は「談合」済みのようです。




船頭のおばちゃん



昔の苦労話と、お約束のお嫁さんの愚痴を聞きながら、
常陸利根川を対面の千葉県側に渡り、水門を目指します。



最初の水門  水門が開く




最初の加藤洲水門で青信号を待ちます。
水路と水位が違うので、
水門が二重になっていて、
水位を調整します。



水位を調整  奥の水門が開く




数十センチ水位が変化して、
奥の水門が開き、水路へと出ます。
ここから住所は千葉県佐原市です。




加藤洲十二橋  加藤洲十二橋 途中の売店


ここからはモーターエンジンを停めて、
竿で、加藤洲十二橋をくぐります。
昔は本当に水路が生活の道路だったんだね。
どこの家にも、玄関のような石段がついています。




与田浦  次の水門へ


水路が終わると新左衛門川というそうで、
比較的広い、与田浦という湖にでました。
水生植物園の横をかすめて、
再び違う水路を進み、違う水門で青信号を待ちます。



大割水門  船のバンパーはブリヂストン製





大割水門というとか。
また常陸利根川に戻るので水位を調整。
しかしこの船がぶつかってもいいように、
所々に何個も取付けられている、
このゴムのバンパーのようなものは、
なんとブリヂストン製です。
一体、なんという商品なんだろうか。
需要はそんなにあるのだろうかね。




再び常陸利根川に戻る  潮来に戻った



再び常陸利根川に戻って、
モーターで高速で潮来に戻りました。




一周して戻った




わずか70分の一周コース。
船酔いはしませんでしたけど、
なんだか陸地が揺れているような気がします。





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前川あやめ園 〜あやめの碑・潮来花嫁さん記念歌碑・潮来笠記念歌碑〜

311-2425 潮来市あやめ1-5




前川あやめ園  前川あやめ園の「あやめ」




5月22日(土)から6月27(日)まで行われる、
あやめ祭りのメイン会場、前川あやめ園。
まだあやめは数えるほどしか咲いていません。
しかし、潮来の年間の観光客のそのほとんどは、
その一ヶ月に集中するそうです。




前川あやめ園と「あやめの碑」



元々この地は「板久村」だったそうですが、
またまた登場の水戸黄門徳川光圀が、
元禄十二年(1699)に「潮来村」と改名したとか。
潮来出島のまこもの中に あやめ咲くとは しほらしや
と、詠んだそうで・・・。なんだか遊び人の歌みたいだねぇ。
これって多分、あやめじゃないよ。
田舎娘にちょっかいを出した歌でしょ。
いやいやちょっと待って・・・、
光圀は元禄十三年(1701)に満72歳で亡くなっています。
潮来」と改めたのはその死の二年前のこと・・・。
あれ?。亡くなる寸前まで、
七十過ぎても現役っすかぁ〜。♥
さすがは肉食大好きの、
元気バリバリのお爺さんです。




潮来笠記念歌碑  潮来の伊太郎像



さて、これはご当地ソング潮来笠」の記念碑と、
銅像潮来の伊太郎像」。
モデルはやはり橋幸夫さんでしょうか。
ボタンを押すとスピーカーから「潮来笠」や、
橋幸夫ヒットソングが数曲流れます。




潮来花嫁さん記念歌碑  潮来花嫁さん像



同様にこっちはやはりご当地ソングの、
潮来花嫁さん」の記念碑と、
銅像潮来花嫁さん像」。
これもボタンを押すとスピーカーから「潮来花嫁さん」。





ちょっと痛い、銅像二体てした。





「潮来花嫁さんの写真」の写し





「あやめまつり」には一眼のお父さん軍団が、
あやめ以上にレンズを向ける「潮来花嫁さん」ですが、
今ではほとんど本物は絶滅しており、
大体、モデルさんの「仕込み」らしいです。





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道の駅 いたこ 〜ザリガニつり その三〜 

311-2416 潮来市前川1326-1
公式サイト http://www.michinoeki-itako.jp/





→ 「道の駅」関連の記事




道の駅 いたこ  道の駅 新鮮市場「伊太郎」
道の駅 いたこ 見取図




最後はかみさんお約束の「道の駅」。
つい先日まで茨城県内最高の売上を誇っていたという、
「道の駅いたこ」です。
駐車場は満車で、砂利道の臨時駐車場にまわされます。
地元の人にも愛されているようで、
赤いプルトニウム」さんのような訛りが多く聞こえました。
しかし生鮮食料品売り場は意外に小さく、
その他がこの通り広く使われていました。




ザリガニ釣り場  釣れたザリガニ





いつも「道の駅」は子供達に不評ですが、
ここにはザリガニつりコーナー(300円時間制限無・二匹持帰可)があり、
夢中になっておりました。
この日どこよりも長時間滞在したのは、
このザリガニつりコーナーでした。




ザリガニつり → その一、 その二






夕陽





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