西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

ラーメン二郎 会津若松駅前店 〜眉鍋組遠征 第九弾〜

営業時間 11:00〜14:00/17:00〜21:00・土日11:00〜18:00
定休日 月曜日(祭日の場合は火曜日)・第三日曜日・祝日不定
965-0041 会津若松市駅前町6-31




眉鍋組遠征 → 1(茨城守谷)2(新小金井街道)3(栃木街道)
4(八王子)5(相模大野)6(豚男・守谷)7(栃木街道2)8(ちばから)
ラーメン二郎ラーメン二郎京成大久保店を愛する者達のオフ会 → 123456789101112131415
眉鍋会 → 第一回第二回第三回
Twitterラーメン二郎京成大久保店」公式アカウント開設について → その一その二
→ 「ラーメン二郎」関連の記事
→ ラーメン二郎戦記




さて眉二郎こと、ラーメン二郎京成大久保店は、
今日4月18日(土)から4月26日(日)まで長期休業。
昨日ほんの思いつきで会津若松遠征を言い出すと、
ケンヨーさん、まぁーちゃん、
そして遠征初参加のヨシアキがのってくれました。




ヨシアキのクラウン  我が家のプリウス




当初はこのヨシアキの、
イカついクラウンで行こうかと計画したものの、
あまりに燃費が悪いもので断念。
早朝ヨシアキがまぁーちゃんを拾って、
我が家に来て車を入れ替え、
うちの滅多に動かないプリウスを発進。
さてうちまでチャリで来たケンヨーさんで全員集合。
総勢四名、習志野を朝七時丁度に出発です。





磐越自動車道から磐梯山を望む




途中あまり目立った渋滞もなく、
到着間近、磐越自動車道から磐梯山を望みます
時間読み通りちょうど四時間で会津若松駅前に到着。




会津若松駅と白虎隊士の像  会津若松駅前の赤べこ




会津若松に来たのは何年ぶりだろう。
おそらく20年以上のご無沙汰。
とても寂しかった駅前が、
賑やかに開けていてビクーリ。
まずは会津若松駅駅前の白虎隊士の像と、
ちゃんと頭が可動する巨大な赤べこにご挨拶。




会津若松駅前で記念写真




遠征恒例の集合写真は、
この白虎隊士の像の前で最初の一枚。




ラーメン二郎 会津若松駅前店  二郎




さて時刻はまだ午前11時をちょっと過ぎたばかり。
開店して間もない時間だったもので、
カウンターにも座敷にもいくつか空席がありました。





券売機  給水器と2色のレンゲ




メニューは豚ダブルの設定がなく、
大小の豚増しがあるだけの四種とシンプル。
しょうがが50円と有料です。
券売機横の給水器の隣り、
なぜかなんでか二色のレンゲが用意されています。




店内




まだ真新しいキレイな店内。
店内に貼られた三田本店のロゴポスターに、
山田総帥の「おやじ」サインもありました。




小上がり  卓上の調味料





さて四名と団体なもので、
この小上がりに通されました。
卓上の調味料は白・黒胡椒に、
一味とセルフカラメ用のカエシ。
そして二郎には珍しい紙ナプキン。




小ラーメン豚入り(800円)+ショウガ(50円)ヤサイ




小ラーメン豚入り(800円)+しょうが(50円)ヤサイ。




麺  スープ





座敷で正座だったもので麺の写真が、
ボケボケにピンボケてしまいましたスンマソン。
既存の多摩系とも少し異なるブタと、
新代田にも少し似た太くてホギホギした麺。
なんともオリジナリティの高い会津二郎。
でもけしてキライじゃないなこの味は。。。
ショウガも良く合って、
サッパリしていたもので、、、。




KK(完飲完食)





朝からお腹ペコペコだったこともあって、
久しぶりにやってしまったKK(完飲完食)です。
さて二郎全店制覇まで、残すは仙台、札幌のみ!!





【参加者のブログ記事】
→ http://blog.livedoor.jp/joshuaf3/archives/33729027.html

若松城址・会津鶴ヶ城

国指定史跡 若松城
開城時間 8:30〜17:00(入城締切16:30)
入場料 茶室麟閣共通券 510円
休館日 無休
965-0873 会津若松市追手町1-1
公式サイト http://www.tsurugajo.com/





市役所前の通りから鶴ヶ城を望む   満開の桜




当初はサクッと会津鶴ヶ城を見学して、
写真をアップするだけのつもりでしたが、
予想に反して只今会津若松は、
桜前線の真っ只中。
この通りの春爛漫の満開で、
市役所の前からお城に向かう通りは大渋滞。




会津の桜と鶴ヶ城  桜と天守閣





満開の会津の桜と、鶴ヶ城
花の雲に浮くかのような天守閣も見事。。。




鶴ヶ城天守閣  塩蔵入口




昭和四十年(1965)の天守閣の再建から、
今年で丁度五十周年。
現在の登城入口は、
昔のB1の地下倉庫・塩蔵ですが、
残念ながらそちらと一二階の一層二層の、
企画展と歴代藩主の資料は写真撮影が禁止です。




三層・四層の常設展1  三層・四層の常設展2





戊辰戦争・白虎隊の幕末期を中心に紹介した三層、
会津ゆかりの先人を紹介する四層で写真撮影が解禁。




天守閣からの風景1  天守閣からの風景2



第五層の天守閣最上階、
ここから眺める会津の桜と城下町の景色を一望。
嗚呼、本当に素晴らしい。
(ただお花見のブルーシートだけは残念。)



天守閣から磐梯山を望む  天守閣から走長屋と干飯櫓


天守閣から磐梯山を望みます。
そして足元には最近復原されたばかりの、
走長屋が連なる先に干飯櫓。




八重の桜の実物衣装




走長屋の入口にはNHK大河ドラマ
「八重の桜」の実物衣装が展示されていました。
まだまだ会津綾瀬はるかさんに、
おんぶに抱っこに肩車。



復原された走長屋  南走長屋の鉄砲兵





復原された南走長屋と、鉄砲足軽の人形展示。
突き当りの干飯櫓は防衛の拠点兼食料庫だったようです。




干飯櫓から天守閣を望む





この干飯櫓から望む天守閣も見事。





荒城の月の碑




城址本丸の一番南東の隅にあるのは、
この「荒城の月」の歌碑です。


春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出でし
むかしの光今何処



秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数みせて
植うるつるぎに照り沿ひし
昔の光今いづこ



今荒城の夜半の月
変はらぬ光誰がためぞ
垣に残るはただかづら
松に歌ふはただ嵐



天上影は変はらねど
栄枯は移る世の姿
うつさんとてか今もなほ
ああ荒城の夜半の月


→ 荒城の月 - Wikipedia





名曲「荒城の月」は、
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲の歌曲ですが、
土井が詞を構想したとされるこちらと、
仙台の青葉城址、岩手県の九戸城址の他に、
瀧が曲を構想したとされる、
大分竹田の岡城址、富山の富山城の、
それぞれ五ヶ所に歌碑が設置されているとか。。。





取り壊される寸前の鶴ヶ城の古写真





しかし明治七年(1874)取り壊し寸前の、
この戊辰戦争の砲弾にさらされて、
痛々しく傷付いた天守閣の古写真を見ると、
あの「荒城の月」の、
哀愁を帯びたメロディと歌詞は、
やはりここが元祖ではなかったのではないか?
と、思ってしまいます。




茶室 麟閣 入口  茶室 麟閣  




さてなんも考えないで共通券を買ってしまいましたが、
この本丸の隅に会津若松市市政90周年を記念して、
ここに復元されたのはこの茶室・麟閣です。
切腹を命じられた千利休の子・小庵を匿った、
当時の会津城主・蒲生氏郷
少庵は後に京に帰り、
その子の宗旦に引き継がれて、
その孫によって、武者小路、表、裏の、
三千家の源となります。




案内板と会津鶴ヶ城 





改めて案内板越しに眺めみる会津鶴ヶ城の全景。
芦名家、伊達家、蒲生家、
上杉家、加藤家、保科家と、
歴代会津藩主変遷の、
悠久の歴史に想いを馳せました。




若松城公園の桜  満開の桜の中の鶴ヶ城 




【参加者のブログ記事】
→ http://blog.livedoor.jp/joshuaf3/archives/33729027.html

高瀬の大木・神指城跡

国指定天然記念物
965-0063 神指町高瀬五百地1624




高瀬の大木・神指城跡




会津盆地に有数のケヤキの大木があると聞き、
鶴ヶ城の後に立ち寄ってみました。
同時にここは慶長五年(1600)、
上杉景勝直江兼続らに命じ、
神指城を築こうとした場所でもあります。



高瀬の大木1  高瀬の大木2




昭和二十四年(1949)の台風で、
大枝が折れてしまったそうですが、
土塁の上に今なお樹勢堂々とした欅の大木。
樹齢は神指城築城計画前で約五百年と推定。
当時すでにに大木であったと記録されているとか。
根元の周囲12.55m、樹高は24.64m。
根を守る為に周囲は木道で囲われており、
あまり近くに寄れず、比較対象物がなくて、
なかなかその迫力が写真では伝わりません。



 
記念写真





ここで四名揃って本日二枚目の集合写真をパチリ。
それでもこの巨大な威容は伝わんないなぁ〜、残念。




神指城跡の案内  神指城完成予想図




ここは神指城の二の丸を計画していた場所です。
鬼門にこの大木を置く設計も、
結局は会津征伐の後、
関ヶ原で西軍が敗れ、
上杉家は米沢に移封となって、
神指城は未完成のまま破却されます。





神指城跡から望む磐梯山





この神指城跡から望む磐梯山がまた絶景。
すぐ近くには、明治元年(1868)、
会津に残った斎藤一新撰組が、
新政府軍に襲われて壊滅したという、
新選組殉難地」もあります。




【参加者のブログ記事】
→ http://blog.livedoor.jp/joshuaf3/archives/33729027.html

普門山 弘安寺 〜中田観音〜

会津三十三観音第三十番
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音菩薩
969-6405 大沼郡美里町米田字堂ノ後甲147
会津六詣出公式サイト http://www.aizu-reichi.gr.jp/nakada/




→ 野口英世像 その一 〜母シカの手紙〜
→ 「野口英世」関連の記事




野口英世博士の母、
野口シカさんが篤く信仰し、
はるばる猪苗代湖畔の自宅から歩き、
毎月十七日の午前一時に来て、
一晩中観音堂に篭って、
英世の無事と成功を祈願したという中田観音。
シカさんの英世宛の手紙を読めば、
誰でも涙は禁じ得ません。
こちらはいつかはお参りしたいと、
前々から思っておりました。





仁王門
阿形金剛力士像  吽形金剛力士像  





巨大な草鞋が奉納されている仁王門。
黒々とした力強い阿吽の金剛力士が印象的。




弁天堂  弁財天




本堂の手前左側にある保管庫内の弁天堂は、
元々は本堂の本尊、
十一面観音を祀った厨子であったそうですが、
本堂修復後に辨天堂に改められたとか。



中田観音堂  本堂遠景





慶安元年(1646)修復の本堂の観音堂
残念ながら御簾の中の重文のご本尊、
銅造十一面世観音菩薩と、
脇侍の地蔵菩薩不動明王は、
個人拝観は月・水・金のみで、
前日迄の事前申し込みが必要だそうです。






本堂内  本尊の案内




本堂内には大正四年(1915)に帰郷した英世とシカが、
立身出世の御礼参りの際の写真が飾られていました。





会津三十三観音の案内





さてこちらのお参りを最後に、
もう帰るつもりでおりましたけど、
この会津三十三観音の案内をみてしまい、
もう一箇所お参りしてしようと思います。
しかしこの会津三十三観音も、
いつか全札所をお参りしたいなぁ〜。



【参加者のブログ記事】
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金塔山 恵隆寺 〜立木観音〜

会津三十三観音第三十一番
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面千手観音菩薩
969-6584 河沼郡会津坂下町塔寺字松原2944
公式サイト http://tachikikannon.jp/
会津六詣出公式サイト http://www.aizu-reichi.gr.jp/tatiki/





仁王門  「別れの一本杉」記念碑  




さて続きまして最後にお参りしましたのは、
会津観音第三十番の中田観音に続く、
第三十一番の塔寺こと、立木観音さん。
仁王門の手前にはここの会津坂下町の出身で、
名誉町民でもある故・春日八郎氏の、
ヒット曲「別れの一本杉」を記念する碑があります。
一昨年亡くなった母方の祖母が大好きな歌だったなぁ〜。




吽形金剛力士像  阿形金剛力士像




こちらも会津武士にも似て、
質実剛健な力強い阿吽の金剛力士





阿弥陀堂  阿弥陀如来坐像




阿弥陀堂にはあまり東北の仏像らしからぬ、
端正なお顔立ちの阿弥陀如来坐像が祀られています。




小金塔




さて俗に塔寺と呼ばれているこちらですから、
昭和五十七年(1982)の調査で発見された礎石の上に、
て平成十二年(2000)に復元されたまだ新しい小金塔。





観音堂





本堂の本尊と並び、
国指定重文の本堂・観音堂は、
鎌倉時代の建築の特色を具えている、
剛健な風致がある和様建築。
先に造られた本尊を囲いこむように、
建久元年(1190)建立されて、
元和三年(1617)大修理を経ています。



重文の本堂・本尊の案内  立木観音の案内



本堂内の拝観は300円。
写真撮影は禁止です。
大同三年(808)に、
弘法大師空海(徳一説もあり)が、
夢でお告げを受けて、
この地にあった桂の大樹に、
一刀三礼で掘り上げたとされる、
像高二丈八尺(8.5m)の、
十一面千手観世音菩薩がご本尊。
上部に雷神風神、左右に二十八部衆という、
三十体の脇侍がまた大迫力。。。




本堂入口にある本尊の写真  立木観音の写真




しばしその威容に圧倒され、
ただただ無心で、
接触れても良いとされている、
御御足にすがりつつ祈りを捧げました。
そのお姿は是非公式サイトをご覧ください。
ただし写真ではやはりその威容は伝わりません。




旧五十嵐家住宅  旧五十嵐家住宅の案内




さて塔寺に隣接して、
福島県指定の重要文化財で、
ここに移設復元された旧五十嵐家住宅があります。




旧五十嵐家住宅内  旧五十嵐家住宅から磐梯山を望む




会津平坦部の中堅層農家住宅で、
昭和三十年代まで、
住居して使用されていたそうです。
移設工事の際に梁上の小屋束に、
享保十四年(1729)の墨書が発見されたとか。
ここの建物越しに仰ぐ磐梯山も絶景です。






磐梯山PAから磐梯山を望む





さて磐梯山PAから磐梯山に別れを告げて、
そろそろ習志野に帰りましょう。
本当に楽しい遠征でした。




【参加者のブログ記事】
→ http://blog.livedoor.jp/joshuaf3/archives/33729027.htmlhtml