元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住東京勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン二郎(京成大久保店がホーム)・蕎麦が大好物。

藤ノ木古墳

国指定史跡 (出土品は国宝指定)
636-0114 生駒郡斑鳩町法隆寺西2-1795





JR難波駅から大和路線に乗り換える




この週末は珍しく関東に戻らずに過ごします。
初日の土曜日である今日は、
前回の奈良探訪で時間切れになってしまった、
法隆寺斑鳩方面と、
興福寺の期間限定・国宝特別公開が目的。
前回は近鉄のフリー切符でしたが、
今回は新大阪からJR西日本に乗ります。
大阪駅から大和路線の直行がなく、
やむを得ず環状線天王寺駅出て、
この普通電車に乗り換えました。





JR法隆寺駅  法隆寺参道




JR法隆寺駅北口に到着しました。
法隆寺」を冠する駅ではありますが、
ここから法隆寺までは徒歩20分程かかります。
南口からバスも出ているようですが、
とりまぷらぷらとお散歩しましょう。
10分ほど歩くとこの松並木のある参道に到着。
これを終えると法隆寺の南大門の前に出ますが、
法隆寺には入らずにプイと左に曲がり、
約350m西を目指します。




藤ノ木古墳




ずっと来て見たかった藤ノ木古墳です。
古墳時代後期の円墳で、
現在は高さ約7.6m、
径約40mしかありませんが、
調査によれば元々は、
高さ約9m・径約50mあったとか。



古墳の周囲の案内展示  古墳の周囲の案内展示





昭和六十年(1985)の第一次調査まで、
全くの未盗掘であった珍しい古墳で、
石室の石棺内にはなんと、
男性二人の被葬者が合葬されていました。
一人は蘇我馬子に暗殺された、
穴穂部皇子ではないかとされ、
もう一人は宅部皇子とも、
崇峻天皇とも言われています。
一度閉じた石棺を、
こじ開けた形跡があるそうです。
法隆寺関係の古文書によれば、
かっては「ミササキ」「陵山」と、
呼ばれていたそうですから、
中央政権に関連する人物二人の
墓であることに間違いはありません。




石室入口




石室の入口です。
古墳自体は国指定の史跡となっておりますが、
出土品は数少ない考古資料の部の、
国宝に指定されています。




石室内の照明のセンサーとガイダンス施設の案内  石室内を覗き込む




石室は鉄の扉で固く閉ざされておりますが、
ガラスの窓から中を覗くことが出来ます。
人感センサーにより人が前に立てば、
石室内を照明が点灯する仕掛けですが、
残念ながら9時〜19時までの限定で、
まだチョット早すぎたので時間前。。。
RX100M3のF1.8に頼り、
どうにか撮影したのがこちらです。




案内展示の石室写真  案内案内展示の展示の石棺内の写真




近くにガイダンス施設があり、
無料で見学出来るそうですが、
これまた時間前で残念デス。。。




高さ約7.6m、最大径約40mの円墳




後ろ髪をひかれながら、
藤ノ木古墳を後にしまして、
350m東に戻り、
法隆寺南大門前に戻ります。

法隆寺

宗派 聖徳宗 総本山
本尊 釈迦如来三尊・薬師如来阿弥陀如来
636-0115 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
公式サイト http://www.horyuji.or.jp/




→ 「法隆寺 祈りとかたち」東京藝術大学大学美術館 その二




国宝・南大門  南大門から中門も望む




さて改めて法隆寺南大門前に戻りました。
法隆寺の玄関であるこの国宝・南大門は、
永享十年(1438)の再建。
これをくぐると正面に西院伽藍が見えます。
さて法隆寺は現存する世界最古の、
木造建築物群として、
世界にその名を知られておりますが、
再建論・非再建論など論争が尽きず、
現代も不明な点が多々有り、
「怨霊封じの寺」とも、
「謎の聖地」とも呼ばれています。
ただし「若草伽藍の調査」により・・・・、




スミマセン、この手のお話しを、
つらつら書いておりましたら、
おそらく一日分の容量を超えますので、
この辺で止めておきます。
m(_ _)m




改修中の国宝の中門  改修前の中門と金剛力士の写真




回廊とその内部丸ごと国宝である、
法隆寺式伽藍「西院伽藍」の正面、
国宝・中門は残念ながらこの通り改修中。
「怨霊封じ」とも呼ばれる、
中央のエンタシスの柱や、
重文の阿吽の仁王像は全く見えません。




国宝・三経院  国宝・西円堂を望む




西院伽藍の西側にあるのは、
鎌倉時代建立の国宝・三経院及び西室。
重文の阿弥陀如来坐像と、
重文の持国天多聞天立像を祀ります。
そして西院伽藍の西北の、
丘の上に建つ八角円堂は、
これも鎌倉時代建立の国宝・西円堂。
本尊は日本最大級の、
乾漆像の国宝・薬師如来坐像で、
小さな重文・十二神将立像と、
重文・千手観音立像を配します。
おいおい、もう国宝のオンパレードやないかい。




国宝・五重塔  





さて参拝料を支払っていよいよ西院伽藍内へ。
「撮影禁止」とありますが、
それは伽藍内部のみで外観はOKとか。
まずは木造五重塔として、
現存世界最古の国宝・五重塔
持統天皇七年(693)〜慶雲三年(706)頃の建立。
内部の四面の塑像も、
国宝・塔本四面具として指定され、
東面は「維摩経」の場面、
北面は釈迦の涅槃、
西面は分舎利の場面、
南面は弥勒の浄土を表わしています。
また心礎内からガラス製の舎利壺と、
舎利容器が発見されたそうですが、
調査後に元の場所に戻されたそうです。
また写真ではなかなか分かり辛いとは思いますが、
屋根の上の双輪に大鎌が四本刺さっています。
これも他に例を見ないもので、
その目的は全くの不明とか。




国宝・金堂 金堂内部




さて五重塔の東隣は、
この西院伽藍の本堂であり、
法隆寺の中で最も尊い堂宇、国宝・金堂。
五重塔よりもさらに少し前の、
年代に建立されたものと推定されいてます。
内部は勿論撮影禁止で手元の資料の写しです。
中央には飛鳥時代の国宝・金銅釈迦三尊像
左右には太子の父・用明天皇の為の、
同じく飛鳥時代の国宝・金銅薬師如来座像と、
母・穴穂部間人皇后の為に造られたものの、
盗難に遭い鎌倉時代に造り直した、
重文・金銅阿弥陀如来座像。
そしてこの如来三尊三体の、
四方を守護するのは、
日本最古の四天王像は白鳳時代の国宝。
そして中央の釈迦三尊像の左右に、
平安時代の国宝・吉祥天、毘沙門天
実はさらりと記述をしておりますが、
この本尊が釈迦・薬師・阿弥陀と、
ずらり並ぶのも異例のことで、
この釈迦・薬師の光背の碑文が、
様々な論争の火種ともなっています。
また切手にもなっている金堂の壁画は、
昭和二十四年(1949)、
壁画模写作業中の火災で、
初層内陣の壁と柱を焼損し、
黒焦げの壁画(重文)と柱は、
大宝蔵院東側の収蔵庫に保管されているとか。
現在は再現パネルがはめ込まれています。




国宝・経蔵  国宝・鐘楼  




西院伽藍北西には、
奈良時代再建の国宝・経蔵で、
重文の観勒僧正坐像を安置しますが非公開。
経蔵と対称の位置にあるのが、
平安時代再建の国宝・鐘楼。
この中の鐘は白鳳時代の梵鐘で、
この鐘の音があの正岡子規の俳句で有名なもの。
"柿食わねども"鳴っていました。





国宝・大講堂  大講堂前の燈篭の銘




さて西伽藍の北に配する国宝・大講堂。
延長三年(925)に焼失し、
正暦元年(990)の再建。
内部の薬師三尊像は平安時代の国宝で、
重文の四天王像が守護しています。
てか、やっぱり不思議ですよ、コレ。
金堂で薬師を祀っているのにまた薬師?
毘盧遮那とか弥勒如来なら分かるけど??
また、大講堂の前にある銅燈篭は、
徳川綱吉の母、桂昌院奉納のもの。
しかしあの八百屋の娘のオバハン、
関西でもいろんな寺社仏閣に登場しますな。



鐘楼側から金堂と五重塔を望む  大講堂の奥にある重文・上御堂




さて改めて写真撮影用にと、
鐘楼の前から金堂と五重塔を望みます。
出口側の南東に向かい振り返ると、
大講堂の奥の伽藍、
重文・上御堂が見えます。
鎌倉時代の再建で、
平安時代の国宝・釈迦三尊と、
室町時代の重文・四天王像を安置。
えーっ、また釈迦三尊と四天王????
通常は非公開ですが、
毎年11月1日〜3日のみ堂内を公開とか。



改修中の中門のエンタシスの柱




西伽藍を出ようと南東に至ると、
改修中の中門のエンタシスの柱が見えました。
・・・美しいです。



国宝・聖霊堂  重文・妻室




西伽藍の東側には、
平安末期の聖徳太子像を祀る、
鎌倉時代の国宝・聖霊堂。
伽藍の西側にあった西室に対する、
東室の南端を改造したものです。




聖霊堂の奥で妻室隣の国宝・東室  国宝・綱封蔵




西室・東室ともに、
僧が生活をした僧房ですが、
東室の東隣にはその下の僧の、
小子房・重文の妻室があります。
そしてまたその東隣に、
奈良時代の国宝・綱封蔵。
寺宝を保管するための蔵で、
かつてはこのような倉が、
三十三棟も建ち並んでいたそうです。



国宝・食堂と重文・妻殿




妻室と綱封蔵の間を北に向かうと、
突き当り右側に奈良時代の国宝・食堂と、
平安時代の重文・細殿があります。
この二棟はこの通り軒を接していることから、
「双堂」とも呼ばれています。




大宝蔵院  大宝蔵院・中門



さてその食堂の北側に、
平成十年(1998)建立の、
中門、東宝殿、西宝殿と、
百済観音堂からなる伽藍、
大宝蔵院があります。



夢違観音と九面観音




ここにこの夢違観音の名で知られる、
白鳳時代の国宝・観音菩薩立像と、
九面観音と呼ばれている、
唐請来の国宝・観音菩薩立像がおわします。




百済観音堂  百済観音




そして当然のことながら一番奥の百済観音堂には、
飛鳥時代生まれといわれる九頭身のスレンダー、
まるでメーテルのような国宝・百済観音。
百済と名付けられているものの、
実はその伝来や造像の経緯はほとんど不明で、
元禄十一年(1698)になって突然文献に登場します。
おそらく他の寺院から移されたものと推定されます。
法隆寺でも元は金堂の内陣の裏側に安置されるなど、
流浪を繰り返していた仏像で、
安住の地としてこの百済観音堂が建立されました。




大宝蔵殿  「法隆寺 祈りとかたち」




さて大宝蔵院から、
食堂・細殿を回り込んで南に向かうと、
非公開の収蔵庫と無料休憩所の先の左側に、
宝物殿である大宝蔵殿があります。
こちらの入場は参拝料とはまた別料金。
ここも当然写真撮影禁止ですが、
この上野の特別展でお会いした仏様方と、
二年半ぶりの再会。





東大門へ向けて歩き東院伽藍へ  国宝・東大門




さて、珍しい三棟造りの、
奈良時代の国宝・東大門を東に出て、
そもそも聖徳太子斑鳩宮の跡に建てられた、
上宮王院ともいわれる東院伽藍へ向かいます。
この西伽藍と東伽藍の間のに、
斜めに若草伽藍があった跡があり、
これが創建当時の斑鳩寺であり、
現在のこの西院伽藍は、
再建であるという説が一般的です。
・・・てか、そんなのどうでもいいじゃん。
長い歴史の中のたった数十年のこと。




傷みの激しい羅漢堂の土塀  重文・四脚門




傷みの激しい支院の土塀。
重文の四脚門をくぐると、
目前に東院伽藍が広がります。




国宝・夢殿  国宝・救世観音




行信僧都天平十一年(739)に建立した東院伽藍。
その中心が旧一万円札裏の図案でも有名な、
国宝・夢殿です。
八角円堂内部の中央の厨子は、
長く秘仏とされていましたが、
明治初期に岡倉天心フェノロサが白布を取り、
発見(?)したのが、聖徳太子等身といわれる、
飛鳥時代の国宝・救世観音像なんですが、
開扉は春秋の一定期間のみ。





国宝・鐘楼  国宝・伝法堂 



重文の、絵殿・舎利殿
回廊、礼門から外に出ると、
北南に鎌倉時代の国宝・東鐘楼があり、
今は「中宮寺」と刻された、
奈良時代の梵鐘が吊されています。
おそらく中宮寺の寺運が衰退した時代に、
法隆寺に渡ったものなんでしょう。
またその隣りで絵殿・舎利殿の、
その北側にあるのが、
奈良時代の国宝・伝法堂で、
これは聖武天皇の夫人、
橘古那可智の住宅を、
仏堂に改造したものです。

法興山 中宮寺

宗派 聖徳宗 
本尊 伝如意輪観世音菩薩
636-0111 生駒郡斑鳩町法隆寺北町1-1-2
公式サイト http://www.chuguji.jp/





中宮寺  境内



法隆寺の東院伽藍と、
塀一枚で接する東に、
現在のこの中宮寺は、
まるで支院のようにありますが、
元はここから400m東方、
斑鳩宮を中心に西の法隆寺と対照的に、
四天王寺方式の大伽藍を有していたとか。
聖徳太子の母・穴穂部間人皇女の発願により、
その宮殿を寺としたともいわれております。
平安時代に寺運が衰退し、
先ほど話題にした鐘のように、
寺宝は法隆寺に渡りますが、
鎌倉時代に中興の、
信如比丘尼により復興をみるも、
たびたび火災に遭い、
現在の法隆寺山内支院の地に避難し、
そのまま旧地への再建ならず、
慶長七年(1602)慈覚院宮を初代門跡に迎え、
以後は門跡尼寺として今日に至っています。




本堂  本堂正面




現在の本堂は高松宮妃の発願で、
吉田五十八の設計、
昭和四十三年(1968)建立の、
和風の現代建築です。



国宝・菩薩半跏像




ここにこの飛鳥時代の国宝、
木造菩薩半跏像がおわします。
寺伝では如意輪観世音菩薩とされていますが、
私は絶対に弥勒菩薩像として、
造立されたものだと思っています。
意外に参拝者が少なく、
しばらく本堂で座り込み、
しばしこの”おだんごチャソ”独り占め❤



さて寺宝は他にいくつかあり、
国宝は飛鳥時代天寿国繍帳残闕がありますが、
実物は奈良国立博物館に寄託しています。
レプリカが本堂に安置されていました。





「国史跡・中宮寺跡」の表示  史跡中宮寺跡





さて中宮寺の参拝の後、
法輪寺法起寺をめぐり、
ぐるりと法隆寺駅に向けて歩いていますと、
案内の通り、現在の中宮寺から、
東に約400mほどの場所に、
この中宮寺跡がありました。
遠目に何らかの建物の、
巨大な台が見えましたが、
残念ながら整備工事中で立入禁止でした。

妙見山 法輪寺

宗派 聖徳宗 
本尊 薬師如来
636-0111 生駒郡斑鳩町三井1570
公式サイト http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/





斑鳩の町並み  斑鳩の里山




中宮寺参拝の後、
そのままこの雰囲気のある、
斑鳩の土塀の町並みを抜けて、
稲刈り間近な里山の風景を北上しますと、
正面にこの三重塔が見えました。




法輪寺 表門  



ここ法輪寺は地名から三井寺とも呼ばれ、
「法林寺」「法琳寺」とも書くことがあります。
宗派は法隆寺と同じく聖徳宗
三重塔は昭和十九年(1944)に落雷で焼失し、
昭和五十年(1975)年の再建である為、
世界遺産法隆寺地域の仏教建造物
・・・に、含まれていません。
創建については二説があり、
山背大兄王が父・聖徳太子の、
病気平癒の祈願の為、
推古天皇三十年(622)に建てた説と、
創建法隆寺の焼失後に、
百済開法師・円明法師・下氷新物が、
三人合力で造寺したとする説。
しかしその三人いずれの人物も、
伝記は全く不明であるとか。。。
いずれにしても調査によれば、
その伽藍の規模は法隆寺西伽藍の2/3程度であり、
出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺と類似し、
また薬師如来坐像と伝虚空蔵菩薩立像が、
やはり飛鳥様式であることから、
七世紀末頃にはほぼ、
寺観が整っていたであろうと推定されています。



三重塔  金堂



そしてこちらがその、
昭和五十年(1975)年の再建の三重塔。
右隣、東側には本堂である金堂で、
宝暦十一年(1761)の再建。
講堂が収蔵庫の役割で改築されるまで、
諸仏はこちらに安置されていたそうですが、
現在は内部は非公開です。



講堂  



本来、僧が勉強する為の講堂ですが、
前述の通り、こちらは昭和三十五年(1960)に、
耐火耐震の収蔵庫として改築されます。



重文・薬師如来坐像  法輪寺の仏像




こちらもやはり堂内は撮影禁止。
これらの写真は手元の資料の写しです。
法隆寺の金銅仏に似た、
この重文・薬師如来坐像は、
飛鳥時代の木彫如来像としては唯一最大。
他にも仏像はなかなかのお宝揃いですので、
詳しくは公式サイトをご覧下さい。




妙見堂




山号にもなっている、
秘仏妙見菩薩を祀る妙見堂。
元々、旧妙見堂は寺北の山中から、
境内に移築されたもので、
享保十六年(1731)に、
寳祐が再建したと伝わりますが、
寺運衰退を再興した時期と重なり、
近世以降、妙見信仰は、
法輪寺信仰の中心の一つとなります。
現在の堂宇は平成十一年(1999)の改築発願で、
平成十五年(2003)に完成したものです。

岡本山 法起寺

宗派 聖徳宗 
本尊 十一面観音菩薩
636-0102 生駒郡斑鳩町岡本1873
公式サイト http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm





法起寺




さて斑鳩の里、最後の寺院は、
斑鳩三塔のもう一寺、法起寺
法輪寺から東に更に400m、
西国三十三箇所の番外霊場でもあります。
別名は、岡本尼寺、岡本寺、
池後寺、池後尼寺ともされ、
一説には推古天皇十四年(606)に、
聖徳太子法華経を講説されたという、
岡本宮を寺に改めたものとされ、
太子御建立七ヵ寺の一つに数えられますが、
実際の寺の完成は、
太子が没して数十年後のことだとか。
こちらは「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として、
世界遺産に登録されております。

池越しに見た日本最古の三重塔  法起寺の池の水蓮




創建の由来については、
この三重塔にあった露盤銘にあったそうで、
推古天皇三十年(622)、
聖徳太子はその最期に臨み、
山背大兄王岡本宮を、
寺に改めることを遺言したとか。、
なんだかどちらも似たようなお話ばかりですね。




聖天堂  講堂




聖天堂は旧の本堂の金堂跡に、
文久三年(1863)の建立。
現在の本堂であり、
観音堂でもある講堂は、
元禄七年(1694)の再建。



鐘楼跡と聖天堂と講堂




手前の鐘楼はその台のみが現存しています。




収蔵庫  重文・十一面観音菩薩立像




聖天堂の奥に収蔵庫があり、
ここにこの重文・十一面観音菩薩立像や、
様々な仏像が一堂に安置されていますが、
ここもやはり撮影禁止。
てか、ガラスが反射してしまい、
とても写真どころか、
中を拝することすら難しい状態。




講堂裏から見た日本最古の三重塔  日本最古の三重塔



法起寺唯一の国宝が、
この前述の、日本最古で、
日本最大ともされる三重塔。
慶雲三年(706)頃の完成と推定され、
高さは約24m。



日本最古の三重塔とコスモス




これとコスモスの構図を狙い、
境内でしばらく這いつくばったものの、
ちょうど良い場所に、
ちょうど良い花がなく、
こんな間の抜けたアングルになってもうた。。。




荒廃した庫裏





庫裏がかなり荒廃したままになっていたのが、
大変、気にかかりましたが、
そろそろ奈良市内へと移動します。

元興寺 (極楽堂・僧房)

宗派 真言律宗 
本尊 智光曼荼羅
630-8392 奈良市中院町11
公式サイト http://www.gangoji.or.jp/




コンビニのおにぎりをかじりながら、
中宮寺跡を横目にJR法隆寺駅に戻りました。
さてここからまた大和路線に乗り、
JR奈良駅に移動します。



北の門碑  北門




さてお次の目的地は元興寺です。
気温30℃を越える奈良市街をトボトボ歩き、
北の門碑を右折して北門に突き当たって、
左に回り込み東側の東門へ。




重文・東門(元・東大寺西南院四脚門)




この元は東大寺西南院四脚門だったという、
重文・東門の南側に受付があります。
さてこの辺りで元興寺について、
詳しく説明せねばならないでしょう。
そもそも元興寺は、
日本最古の本格的仏教寺院である、
蘇我馬子が飛鳥に建立し法興寺がその前身で、
平城京遷都に伴って移転し、
名を元興寺と改めたものです。*1
東大寺興福寺と並ぶ、
南都七大寺の一つの大寺院でしたが、
中世以降に次第に寺運が衰退して為、
巨大な寺域は分離してしまい、
現在、元興寺と名乗る寺院は、
なんと二つになってしまいました。
その一つがこちら北側の、
奈良市中院町の元興寺で、
昭和五十二年(1977)までは、
元興寺極楽坊」と称していました。
西大寺の末寺となり、
宗派は真言律宗です。
一方、五重塔観音堂があったという、
南側の奈良市芝新屋町の一部は、
東大寺の末寺となり、
宗派は華厳宗となります。
現在、真言律宗元興寺は、
元興寺極楽坊」という名称を改め、
真言律宗元興寺」と称していますが、
混乱を避ける為、当ブログでは、
門碑にあった「極楽堂・僧房」を、
カッコで記載させて頂きました。





国宝・極楽堂




東門をくぐると正面は、
鎌倉時代の国宝・本堂の極楽堂、
極楽坊本堂、曼荼羅堂とも呼ばれ、
本尊は仏像ではなく智光曼荼羅です。
中央曼荼羅の前の左右の柱に、
「柱刻寄進文」があるのに注目して下さい。
内部は板敷きの内陣の周囲を、
畳敷きの外陣がぐるりと囲んでいて、
内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る、
「行道」が出来る構造になっています。



法輪館  元興寺の国宝・五重小塔や重文の仏像



さて一旦本堂を出て、
本堂の南にあるのは、
宝物殿である法輪館。
こちらも当然撮影禁止ですが、
建築物として国宝指定されている、
五重小塔や、重文の仏像の数々は必見。




旧講堂礎石  浮図田




この法輪館の前に、
旧講堂の礎石があり、
東西に長く石塔石仏群の、
「浮図田」があります。



飛鳥時代(法興寺創建)の古式瓦



さて先ほどの本堂と、
その西に隣接する、
やはり国宝の禅室の屋根のこの部分。
是非境内の南西側からご覧ください。
飛鳥時代奈良時代の、
古代瓦が混在して使用されています。



国宝・禅室 (春日影向堂、北宅経蔵、僧坊)




そしてその国宝・禅室です。
春日影向堂、北宅経蔵とも呼ばれていますが、
要するに僧が禅を組み生活した僧坊です。
数年前の調査でなんと飛鳥時代初期の、
用明天皇元年(586)頃に伐採された、
ヒノキが使用されていることが判明しました。
現存の法隆寺よりも約100年前の、
世界最古「現役」の木造建築部材なんだとか。
・・・びっくりたまげた。

*1:ただし法興寺も元の場所に残り現在の飛鳥寺となります。

興福寺 その二 〜国宝特別公開2016 五重塔・三重塔〜


開催期間 8月26日(金)〜10月10日(月・祝) 09:00〜16:00(受付〜15:30)
開催場所 五重塔・三重塔(受付は東金堂西側に設置)
料金 個人1,000円、団体(20名以上)900円


宗派 法相宗 大本山
本尊 釈迦如来
630-8213 奈良市登大路町48
公式サイト http://www.kohfukuji.com/





→ 興福寺 その一



→ 特別展「国宝 阿修羅展」東京国立博物館 その八
→ 「国宝 興福寺仏頭展」東京藝術大学大学美術館
→ 「興福寺」関連の記事





猿沢池から望む五重塔  券売所の案内




さて興福寺に三か月ぶりに参りました。
初の両塔同時開扉という、
「国宝特別公開2016 五重塔・三重塔」
・・・が、今回の参詣の目的です。
特別拝観券を購入し、
まずは境内南西角の国宝・三重塔へ。




三重塔受付  三重塔下




康治二年(1143)崇徳天皇中宮
皇嘉門院による創建とされますが、
治承四年(1180)の大火で焼失し、
まもなく再建されたようで、
やはり国宝の北円堂と並ぶ、
興福寺最古の建築物の一つです。




三重塔内部の弁才天坐像




小さな棟なので中に入ることは出来ません。
平安時代の建築様式で、
初層を覗きこむと、
この弁才天坐像と十五童子像。
板絵や天井は痛み激しく、
ほとんど見えなかったというのが、
正直な感想。。。




三重塔VR体験コーナー  整理券をもらう




三重塔の奥の興福寺会館で、
三重塔VR体験コーナーが開催されていましたが、
大混雑のようで、15時の整理券をもらって、
とりま五重塔へ。



五重塔受付  混雑時の待合順路



国宝・五重塔公開受付です。
混雑時はまるでどこぞのテーマパークのように、
ぐるぐると並ぶ順路が作られていましたが、
タイミングが良かったのか、
全く並ばずに入場しました。
こちらは天平二年(730)光明皇后の発願で創建。
その後五回の消失を経て、現存の塔は、
応永三十三年(1426)頃の再建で高さ50.1m。
木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、
日本で二番目に高いとか。



五重塔内部



入場出来る初層には、
心柱を中心に各方向、曼荼羅風に、
東は薬師三尊(薬師如来日光菩薩月光菩薩)、
西は阿弥陀三尊(阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩)、
南は釈迦三尊(釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩)、
北は弥勒三尊(弥勒如来・法苑林菩薩・大妙相菩薩)を安置。
しかしこれも正直なところ、
仏像自体の保存状態があまり良くなく、
少しがっかりしてしまいましたが、
蓮華座や光背の彫刻は見事でした。




記念品のトートバッグ





記念品のトートバッグはちと微妙・・・。
やっぱり阿修羅タソにご挨拶をすると、
ちょうど時間となりました。
さて三重塔方面へ戻りますか。。。




三重塔VR体験注意事項  三重塔VR体験終了




さてVR体験は、
まるで三重塔内部に入り、
創建当時の天井や内陣の板絵を、
立体的に見ることが出来るというものですが、
どうにも老眼の私にはピントが合わず、
なんだかよくわからん内に終了しますた。



近鉄特急  特急券




明日も予定が満載なので、
早めに帰宅の途に着きます。
往路はJRでしたが、
復路は贅沢に近鉄特急でございます。




生駒山麓を走る近鉄特急から見下ろした大阪




生駒山麓を走る近鉄特急から見下ろした、
光差す大阪の街の美しさに息をのみました。




模様替えしたマンションの壁




さて、今日の自分へのお土産で、
マンションの壁を模様替えデス。