長篠設楽原合戦・織田信長戦地本陣跡

441-1302 新城市富永住田 長篠設楽原パーキングエリア(下り線)





早朝四時に船橋市内のゾウ宅集合  チャリ二台を積込み四時半出発





さてさて夏休み初日です。
かなり前から計画されていた、
琵琶湖一周=ビワイチ計画ですが
台風19号&20号の影響で、
どうやら今日は滋賀も大雨で強風のよう。
出発日を一日延ばすことも検討しましたが、
相棒のゾウは27日(月)は普通に仕事なので、
出来れば26日(日)には、
ゆっくり休養出来る余裕が欲しいとか。
当初は二泊三日で観光をしながら、
ゆっくりポタポタと、
じっくりビワイチるつもりでしたが、
とりま計画通りに今日の早朝出発して、
初日の23日(木)はクルマで観光に特化。
24日(金)、25日(土)の一泊二日で、
ビワイチに集中することに致しました。
てな訳で早朝4時に船橋市内のゾウ宅で集合。
いつもはゾウのプラドですが、
今回は長旅になるので、
燃費を考慮してワタシのプリウスが出動。
チャリ二台の前後輪を外して積込みが完了。
午前4時半に出発致しました。
最初の運転はワタシです。





五時半海老名SA着  朝食の牛丼




さて5時半に海老名SAトウチャコで、
最初の休憩タイム。
ワタシはフードコートの吉野家にて、
牛丼セットで朝食を取ります。







東名の先の富士山




東名の先に見える富士山は、
雲の笠をかぶっていました。







東名・新東名の道路案内  新東名へ





実は初めて走る新東名(第二東名)にワクワク。




7:15静岡SA  8:15浜松SA



7時15分に静岡SAでゾウに運転を交代。
8時15分に浜松SAでまた休憩ですが、
休憩の度にゾウが喫煙所でタバコを吸うので、
なかなか前に進みません。




8:55長篠設楽原SA  織田信長戦地本陣跡




ゾウの携帯に仕事の取引先から電話が入り、
8時55分に長篠設楽原PAでまた休憩。
あまり期待せずに寄ったサービスエリアですが、
あの長篠・設楽原合戦の織田信長戦地本陣跡が、
隣接していてビクーリ。




長篠・設楽原合戦案内  長篠・設楽原





ここであの長篠の戦いがあったんだねぇ。
武田勝頼こんなとこで負けたんか。
今でも鉄砲の玉が出土するとか。




→ 長篠の戦い - Wikipedia

渡岸寺 観音堂 (慈雲山 向源寺 飛地境内)

宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
529-0233 長浜市高月町渡岸寺50







→ 私の好きな仏像
→ 特別展「仏像〜一木にこめられた祈り〜」東京国立博物館 その四
→ 「向源寺」関連の記事






雨が強まる  滋賀県に入る




台風の影響で時折強い風雨の中、
10時45分に滋賀県に入りました。





高月町観光案内図  観音堂参道





さてまずは北陸道木ノ本ICで下りて、
我が愛しの国宝・十一面観音様に、
十二年前上野でお逢いして以来の再会です。
風は強いですが雨は止んでいました。
高月町の慈雲山・向源寺飛地境内、
渡岸寺・観音堂を目指します。




慈雲山 向源寺  





慈雲山・向源寺飛地境内(渡岸寺・観音堂)と、
なぜこんなにややこしい、
名称なのか説明を致します。
写真は観音堂参道の途中にある、
慈雲山・向源寺の本堂。
そもそもこのお寺の起源は、
天平八年(736)、
都に疱瘡が流行した際に、
聖武天皇が泰澄に祈祷を命じ、
泰澄は十一面観世音を彫って、
光眼寺を建立します。
延暦九年(790)
最澄が七堂伽藍を建立しました。
しかし元亀元年(1570)、
浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失。
十一面観音を篤く信仰する、
当時の住職・巧円や近隣の信徒は、
観音様を土中に埋蔵して難を逃れたとか。
この後、巧円は浄土真宗に改宗し、
光眼寺を廃寺として向源寺を建立。
明治三十年(1897)十一面観音像は、
(旧)国宝に指定されます。
しかし浄土真宗阿弥陀如来以外の仏像を、
本堂に祀ることを認めていない為、
向源寺飛地境内の観音堂に祀るということで、
本山・東本願寺から許可を受けて、
大正十四年(1925)観音堂が再建。
昭和十七年(1942)、
宗教団体法の規定に基づき、
向源寺飛地境内観音堂は、
正式に向源寺の所属となりました。
そして昭和二十八年(1953)に、
十一面観世音は文化財保護法に基づく、
(新)国宝に指定されます。
昭和四十九年(1974)、
慈雲閣(収蔵庫)が完成してからは、
国宝・十一面観音像と、
胎蔵大日如来坐像はそこに移され、
高月町国宝維持保存協賛会の理事が、
毎日交替で維持管理に当たっているとか。
大人の事情、
お分かりいただけましたでしょうか。




渡岸寺 観音堂  仁王門





さてこちらがその渡岸寺観音堂
仁王門の阿吽の木造金剛力士立像は、
滋賀県指定有形文化財





観音堂  慈雲閣(収蔵庫)





現在、観音堂の中央本尊は、
真宗大谷派に対する忖度なのか、
やはり滋賀県指定有形文化財の、
木造阿弥陀如来坐像です。
慈雲閣(収蔵庫)はこの本堂の左手に、
渡廊下でつながってあります。
ここにお目当ての、
国宝・木造十一面観音立像と、
重文・木造大日如来坐像がおわします。





向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩立像  向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩立像





トウチャコ時、
観光バスで「女性の会」との、
団体客がわんさと拝観しておりまして、
圧倒されてしまいましたが、
彼女たちが嵐のように去った後は、
完全に貸し切り状態で、
しばし見惚れ続けたワタシ。




向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観世音菩薩




十二年前、上野の東博で、
二時間以上見つめ続けて、
係員に「いい加減にしてください」
と、怒られたワタシ。
今回ももしゾウがいなければ、
二、三時間は見つめ続けていたでしょう。
嗚呼、本当に美しい観音様です。




暴悪大笑面




ホームではおそらく後ろには回り込んでは、
拝観出来ないであろうと想像していましたが、
ぐるりと周囲を回るとこが出来る展示なので、
この後頭部の「暴悪大笑面」など、
ゆっくりと見つめ続けました。
横から見ると意外に二の腕が太いのは新発見。
衆上を救う為の力強さなのかもしれません。





購入したポスター2枚と写真集  ポスター2枚





売店では写真集と、
ポスターを二枚購入しましたが、
当然ながら握手券は、
ついておりませんでした。
( ´_>` )

多賀大社

国指定名勝 多賀大社庭園
官幣大社別表神社
神仏霊場近江國一番
主祭神 伊邪那岐命伊邪那美命
522-0341 犬上郡多賀町多賀604
公式サイト http://www.tagataisya.or.jp/




多賀大社  東郷平八郎揮毫の社号標






渡岸寺観音堂で正午になりまして、
ランチは多賀蕎麦が食べてみたくて、
そのまま多賀大社に参りました。
この社号標の揮毫、
ワタシのようなヲタならば、
すぐに東郷平八郎書と分かりまする。




多賀大社境内図




さすがは旧官幣大社
別表神社の大社です。
思ったよりも広大な境内。
伊邪那岐命伊邪那美命の二柱を祀り、
古くから「お多賀さん」と、
親しまれた神社で、
神仏習合の時代には、
「多賀大明神」と呼ばれていたとか。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」
「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」
と、中世は伊勢神宮・熊野三社とともに、
多くの庶民の参詣で賑わったそうです。




太閤橋  御神門



小雨の中、太閤橋(太鼓橋)を、
よじ登る五十間近のおっさん二人。
その先の厳かな神門。





絵馬殿  神馬舎




絵馬殿と併設してある、
「寿命そば」でランチのつもりが、
台風の影響なのか臨時休業の様子。
神馬舎の神馬に一礼して、
まずは神前にお参りします。
ゾウ、縁結びの神社だから、
念入りにお参りしときや。




拝殿



迫力のある大社造の拝殿と本殿。
ここで雨が強くなり、
傘を持っていなかったおっさん二人は、
失礼ながら神前に背を向けて、
しばしの雨宿り。





絵馬殿で雨宿り






一瞬雨が弱まったので、
絵馬殿へと戻りました。
ゾウはここの喫煙所でタバコ休憩。






参集殿  大釜
鐘楼  太閤蔵






ワタシは風雨で、
びしゃぴしゃになりながらも、
参集殿や奥書院、鐘楼、
徳川幕府寄進の大釜や、
豊臣秀吉寄進の金子で作られた、
太閤蔵などを見学しました。
余談ですが、
こちらのお守りは「しゃもじ」で、
「お多賀杓子」(おたがじゃくし)
と 、呼ばれていますが、
これが「オタマジャクシ」の名の由来とか。

手打ちそば そば吉

営業時間 11:30〜19:00
定休日 金曜日
522-0341 犬上郡多賀町多賀1615-1





門前  




台風20号の影響なのか、
多賀大社の門前のお店は、
ほとんど閉店しておりまして、
多賀蕎麦のお店もすべてお休みデス。
(´;ω;`)ウゥゥ



手打ちそば そば吉  麺打室





多賀蕎麦を諦めて、
コンビニで傘を買って、
クルマで彦根方面に出発すると、
門前の目と鼻の先に、
この営業中の蕎麦店を、
偶然ハケーンしますた。
手打ちそば・そば吉どん。
入口脇にガラス張の、
製麺室がありまして、
期待は膨らむばかりデス。




おしながき(表)  おしながき(裏)
こだわり(表)  こだわり(裏)




蕎麦は蕎麦粉の異なる、
太打ちと細打ち、
変わりそばがあり、
変わりそばは、
日により異なりますが、
ゆず切り、茶そば、
けし切り、梅、よもぎ
が、あるとか。
太打ちと細打ちの、
両方を食べたかったので、
もりを二枚お願いすると、
二色もりの大盛りで、
蕎麦の量は同じでお得とか。
それではそれでお願いします。




つゆと薬味  七味唐辛子




つゆは関西の薄口醤油ではなく、
出汁もしっかり効いてます。
何よりもネギが白くていいね!
七味唐辛子にも、
なんやこだわりがあるようデス。




二色もり(750円)大盛りの太打ち  太打ち・細打ち




二色もり(750円)+大盛り(?円)。





太打ちの蕎麦  蕎麦を手繰る




大盛がいくらだったのか、
失念しました。
しかし何故太打ちの蕎麦が、
先に出て来るんだろう。
太打ち、細打ち共に乱切りで、
意識的にやっているのか、
茹で方にもムラがあります。




蕎麦湯を注ぐ  蕎麦湯





これが多賀蕎麦そのものなのか、
一軒だけでは判断出来ませんが、
首をひねりひねりながら、
蕎麦湯を啜りました。





KK




とりま、
"多賀蕎麦そば吉二色大盛完飲完食"
TGsb-sbKT-2s-OM-KK
で、ございます。




  

彦根城 (彦根城博物館・玄宮楽々園) 〜井伊直弼像〜

国宝・国指定特別史跡 彦根城
観覧時間 8:30〜17:00 
定休日 年中無休
522-0061 彦根市金亀町1-1
公式サイト http://www.hikoneshi.com/jp/castle/





国宝天守閣 → 松本城姫路城






京橋  ひこにゃんの立看板と登場予告




さてさてお次は彦根城
彦根城は中堀・内堀の間は、
クルマでずかずか侵入出来るようですが、
敢えて京橋口の市営駐車場に、
プリウスを駐車して、
傘を差して徒歩で登城しましょう。
全国区の超人気ゆるキャラ
ひこにゃんの登場スケジュールが、
そこいら中に貼られていました。
関東からの観光客の皆様、
これは「ひこにゃん」です。
くれぐれも「にゃんまげ」では、
ありませんからご注意を!!




旧西郷屋敷長屋門  土砂降りの内堀





さて京橋口から入りますと、
中堀・内堀の間の武家屋敷跡地は、
旧西郷屋敷長屋門が残るぐらいで、
県立彦根東高校や市立西中学、
津地裁彦根拘置所検察庁等、
多くの城跡・城址と同じように、
公共施設になっていました。
横殴りの雨と強風の中を、
びしゃびしゃになりながら歩きます。






表御門跡  表門券売所と彦根城博物館





表玄関であったであろう表御門跡から、
入城券を購入して参城致します。
券売所の正面には、
彦根城博物館がありますが、
とりま後回し。



登り石垣と山切岸  濁流




登り石垣の脇、山切岸沿いに、
濁流が横を流れる石段を登ります。




重文・天秤櫓




石段を登り見上げれば
重文の天秤櫓が聳えます。



大堀切  廊下橋




廊下橋をくぐり、
大堀切を進みます。
この廊下橋は戦時には、
切って落とす設計なんだとか。




重文・天秤櫓  天秤櫓内





ぐるりと回り込んで、
廊下橋を渡れば、
その天秤櫓です。
これをくぐって右に回ると、
内部を見学することが可能です。




時報鐘





さてこの天秤櫓と太鼓門櫓の間が太鼓丸。
ここに城下に時を知らせた時報鐘があります。
弘化元年(1844)、
十二代藩主・井伊直亮の頃の鋳造。




重文・太鼓門櫓  保存修理工事中の天守




重文・太鼓門櫓及び続櫓の先は本丸です。
国宝彦根城天守・附櫓及び多門櫓は、
保存修理工事の真っ只中。



国宝・彦根城天守  国宝彦根城天守、附櫓及び多門櫓保存修理工事




上手く角度を選べば、
足場を隠して撮影することも可能ですが、
これはこれで保存修理工事の光景も貴重です。




本丸跡から琵琶湖を望む





本丸跡から琵琶湖を望みます。
歴代藩主もこの琵琶湖を眺めたことでしょう。




重文・西の丸三重櫓  重文・西の丸三重櫓の案内




お楽しみは後回しで、
まずは本丸の北の西の丸にある、
重文・西の丸三重櫓を見学。



三重櫓内  三重櫓の柱の文字




三重櫓内に入りましてじっくりと見学。
柱に筆で書かれた文字がいくつかありますが。
これは築城当時のものなのか、
それとも補修時のものなんだろうか?




三重櫓最上階  三重櫓からの景色





西側の守りの要、
三重櫓最上階から観た琵琶湖。




国宝・彦根城天守 附櫓  国宝・彦根城天守 多門櫓




さていよいよ国宝、
彦根城天守・附櫓に多門櫓から入ります。
慶長十二年(1607)頃の築城。
昭和二十七年(1952)に国宝に指定されます。
これ以外の国宝の現存天守は、
姫路城、松本城犬山城松江城のみ。





火灯窓  鉄砲狭間、矢狭間





改修前の火灯窓が展示されていました。
鉄砲狭間、矢狭間を四方に備えています。




二層内  二層内部
二層から見た外部  二層から三層に上る




二層内、二層内部。
二層から見た外部の景色は、
補修工事の足場越し。
そして二層から三層へ。




三層内部  三層から琵琶湖を望む
最上層の天井  隠し部屋






最上階の三層内部、
三層からの琵琶湖の眺め。
最上層の天井の張り。
そして隠し部屋の出入り口。
国宝をじっくりと堪能いたしますた。





着見櫓跡から見えた二重の虹  着見櫓跡から天守を見る




天守から出ると、
ちょうど雨が上がっていて、
本丸の東に張り出した、
着見櫓跡から二重の虹が見えました。
そして振り返ると光の降り注ぐ天守







本丸から降りる




さて本丸跡から下りまして、
表御殿跡にある彦根城博物館に向かいます。




彦根城博物館  博物館入口



さて彦根城博物館は、
一部の展示を休室しており、
入場料も割引ちう。




表御殿能舞台



この表御殿能舞台は、
唯一現存する表御殿の建築物で、
寛政十二年(1800)の建立で、
博物館内からガラス張りで見学が可能。



陶磁器の展示  表御殿の復元入口




井伊家に伝わる陶磁器の展示を経て、
表御殿の復元建物入口へ。





御寝之室(藩主寝室)  天光室(藩主茶室)




御寝之室(藩主寝室)や、
天光室(藩主茶室)は、
すべて昭和六十二年(1987)復元です。




表御殿庭園  中庭




勿論、庭園や中庭も復元ですが、
庭園は古い時代の古絵図には記載がなく、
江戸時代後期に築かれたと想定されています。
元にあたっては、発掘調査を実施して、
池の規模などは判明したそうですが、
庭石は地下部分にもなく、
築山も掘削され整地し、
小山の大きさ等は不明でした。
そこで庭園が詳細に描かれている、
古絵図を参考にして、
庭石、築山を築いて、
復元し直したんだとか。




展示室  展示





どうやら赤備の鎧兜等は、
休室中の展示だったようで、
とても寂しく残念でした。
(´;ω;`)ウッ…





重文・馬屋  馬屋入口
馬屋内  馬屋の内部



さて先ほど、
中堀・内堀の間の武家屋敷跡地は、
旧西郷屋敷長屋門が残るぐらいで、
ほとんど現存する、
建築物はないと申しましたが、
表御門前には、
藩主らの馬がつながれていたという、
重文の馬屋が現存しています。
城内に馬屋が残るのは、
実はここだけなんだとか。





玄宮園入口  玄宮園の護岸調査・修理状況速報




彦根城の最後は、
もう閉館時間ギリギリですが、
下屋敷・槻御殿に伴う、
後園として作庭された、
大規模な池泉回遊式庭園の、
国名勝・玄宮楽々園。




玄宮園  玄宮園
玄宮園  玄宮園から仰ぎ見た天守




こちらは現在、槻御殿も含めて、
復元整備中の真っ只中の様子です。




遠城謙道碑  遠城謙道碑近景




さて玄宮園の東、
桜場駐車場に石碑と銅像がありました、
石碑は遠城謙道を顕彰するもののよう。
豪徳寺井伊直弼の墓を終生掃墓した、
彦根藩士の話は聞いておりましたが、
他にあまり資料もないので、
この案内板を写しておきます。

遠城謙道(おんじょうけんどう)




遠城謙道は、旧彦根藩士で通称遠城平右衛門
といい、文政6年(一八二三年)に彦根で生まれた。
15歳で鉄砲隊に入ったが、藩医「堀田道策」に
医術を学んだのを始め、儒学や画も学ぶなどし、
特に禅の修業を積んだことで武士の魂を磨いた。
桜田門外の変における、大老井伊直弼公の
横死の後、悲憤の余り主君の旧恩に報じようと
同志と謀り老中に抗弁するも、果たすことがで
きなかった。
追い腹は犬死と判断し、僧となりお墓守を勤
める決心をし、井伊家菩提寺の清涼寺「俊竜和尚」
の元で仏門に入り、名を「謙道」と改めた。
慶応元年(一八六五年)、妻と6人の子供を残
した謙道は、江戸における井伊家の菩提寺
豪徳寺(東京都世田谷区)に移り、直弼公の墓側
に庵を建て終生掃墓、読経をし、霊を慰めるこ
と実に37年に及んだ。「開国始末」の著書、島田
三郎氏は清節堅操優に、士人の典型また僧侶の
模範と謙道翁の至誠至忠が讃されている。


井伊直弼像  井伊直弼像





さて銅像は言わずと知れた、
安政ノ大獄を経て、
桜田門外ノ変で斃れた、
近江彦根藩第十五代藩主・井伊直弼




→ 井伊直弼 - Wikipedia





井伊直弼像  井伊文子歌碑





その銅像の傍らには、
直弼の孫の嫁に当たる、
井伊文子の歌碑があります。





一身に
責負ひまして、
立ちましし、
大老ありてこそ、
開港はなりぬ
      井伊文子




井伊直弼像





本当は直弼が青春時代を過ごした、
埋木舎も見学したかったんですが、
残念ながら閉館時間の時間切れ。
最終日に余裕があれば出直します。




ちなみに午後、
ひこにゃん登場は、
雨の為、お休みでした。
白だからねぇ、
クリーニング大変だろうし。
(;^_^A

彦根千乃松原温泉 かんぽの宿 彦根

522-0002 彦根市松原町3759
公式サイト https://www.kanponoyado.japanpost.jp/hikone/




今回予定がはっきりしなかったもので、
宿泊施設の予約は全くしておりません。
彦根城の後、JR彦根駅の観光案内所で、
彦根市内の宿泊施設のパンフをもらい、
こちらに電話してみると、
今晩大人二名二食付で宿泊可能とか。




かんぽの宿彦根  部屋




彦根千乃松原温泉、
かんぽの宿彦根さん。
チェックインの時に、
明日明後日車を停めたまま、
一泊二日でビワイチをしたいと願い出ると、
快く二泊三日の駐車を、
お許しを頂きました。
部屋も清潔で広く大満足。





全室琵琶湖ビュー  窓から見える多景島





全室琵琶湖ビューでございます。
窓から光の降り注ぐ、
神秘的な多景島が見えました。





大浴場





彦根千乃松原温泉の大浴場は、
最上階の六階にあります。
今日の雨と汗を洗い流しました。
大浴場からももちろん、
雄大な琵琶湖が望めます。





食事処  かんぽの宿彦根社員の作った発泡スチロールの彦根城



さて食事処での夕食です。
宴会時には舞台となる壇上に、
かんぽの宿彦根社員の作った、
発泡スチロールの彦根城
器用な人がいるものです。



湖都御膳献立




湖都御膳献立。





前菜 季節の前菜  向付 鯛 鮪 烏賊 甘海老 あしらい




前菜 季節の前菜、
向付 鯛 鮪 烏賊 甘海老 あしらい。



蒸物 茶碗蒸し  油物 キス青豆揚げ




蒸物 茶碗蒸し、
油物 キス青豆揚げ。




炊き合せ 鱧饅頭




炊き合せ 鱧饅頭。




鍋物 近江牛はりはり鍋  鍋物 近江牛はりはり鍋



鍋物 近江牛はりはり鍋。



鍋物 近江牛はりはり鍋



さすがに霜降りの近江牛は、
本当に美味いなぁ〜。




酢物 豆鯵南蛮漬 はじかみ  デザート フルーツゼリー






酢物 豆鯵南蛮漬 はじかみ、
デザート フルーツゼリー。




意外にボリュームがあり、
腹パンで大満足になりました。



眠りに落ちたゾウ(48)お嫁さん募集中



部屋に戻って、
缶ビールと缶チューハイで、
二次会をしていると、
すでに布団を敷いてくれてあるのに、
座卓の横で眠りに落ちた、
ゾウ氏(48)お嫁さん募集中。




台風一過の夜明けの琵琶湖  日が昇った琵琶湖



台風で荒れ狂う琵琶湖を眺めつつ、
ワタシも明日の天気を祈りつつ就寝。
早朝、目が覚めると、
台風20号日本海に抜けた模様。



朝食バイキング  朝食バイキング





朝食はバイキングですが、
ついつい取りすぎてしまいがち。





食べ過ぎた朝食





しっかしこんなに食ったら、
腹パンで走れないだろーが。