成田山御本尊上陸之地

尾垂ヶ浜





冬の海を見に行きました。
写っているのは息子二人。
話は変わり、成田山新勝寺
現在では全国的に有名なこのお寺。
そもそも平将門の乱の平定の為、
天慶3年(940年)朱雀天皇が、
空海が彫った不動明王像を
大坂からこの九十九里浜の尾垂ヶ浜に船で運び、
陸路で成田に運んだそうです。
この写真の浜に上陸したわけですな。
乱平定後に、都に持って帰ろうとしたんだけど、
ピタッとくっついて、
動かなくなっちゃったのが成田山だそうです。
だから将門の霊を鎮守する神田明神の氏子や、
将門の地元の千葉北部や茨城一部の人は成田山が嫌いらしい。
空海の彫った仏が人を引き付けているのも事実なら、
将門も神田明神や大手町の首塚で今も人を引き付けています。
怒られること覚悟していいますが、
所詮仏像なんて、ただの木や金属の塊でしょ。
偶像であって仏そのものではないわけです。
祈りのためにその方向のために作られた偶像であって
それ自体尊いものではないでしょ。
でもね。仏像って、作り手の込めた「念」と
長年みんながそちらに向かい拝み祈ることで、
どんどん多くの「念」を充電しているような気がします。
だから尊くなるような気がするんです。
歴史ランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← 一日一回クリックをお願いします。