仏像がよくわかる本―種類・見分け方完全ガイド (PHP文庫)
- 作者: 瓜生中
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1998/07
- メディア: 文庫
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現代の仏教の重要な道具の一部であり、
「本尊」と崇められている仏像。
でも、紀元一世紀後半以前に仏像はないそうです。
つまりブッダは偶像崇拝を禁止していたのでしょう。
偶像はそれ自体があんまりチャチかったりチンプだと、
信仰心が保てなくなりますから
偉大であることを強調したい場合、
偶像を禁止したり、完全に秘仏にして隠しちゃう。
ところで、仏像と呼ばれているものは数あれど、
厳密に言えばそのほとんどは仏像ではないんです。
観音像しかり、不動明王しかり、〜菩薩や〜明王、〜天は、
「仏」ではないんだって。
「仏」は如来だけ。
もちろんご先祖様も「仏」ではありません。
(仏壇に入っているお位牌は、居候みたいなもんです。)
それではここで仏像=如来像の見分け方、ツーポイントアドバイス。
①頭が二段になっている。(髪ではなく肉)
②装飾品をつけていない。
(大日如来を除く。つまり頭が二段で派手な装飾品をつけていれば大日如来)
ここから先は見分けづらいです。
薬の壺をもっていれば薬師如来。(持っていないものもあり。)
九品来迎印っていう独特の手の組み方(印)は阿弥陀如来。
あとはもう両隣の脇侍で区別するしかないようです。
釈迦如来(文殊菩薩・普賢菩薩)
阿弥陀如来(観音菩薩・勢至菩薩)
薬師如来(日光菩薩・月光菩薩)
毘盧舎那如来(小釈迦がいっぱい)←ドラえもんズか!?
これらもあくまで原則的にということで例外も多いので
結局作った人に聞いてみなければわかりません。
鎌倉大仏の話。
国宝 銅造 阿弥陀如来座像。
「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」
という与謝野晶子の歌。間違えているって有名ですけど、
調べてみたら、ひょっとするとは釈迦如来だったんじゃないか??だって。
ほぇ?
吾妻鏡には大仏に対する記述がなぜか極端に少ない。
たがら何のために誰がどうやって作ったのかが「謎」とされているんですが、
吾妻鏡、建長四年八月十七日には
「今日彼岸ノ第七日ニ当リ深澤里ニ金銅八丈釈迦如来像ヲ鋳始メ奉ル」
って書いてあるっ!!
かなり乱暴な一説によれば、印がなんであろうとあれは釈迦如来だったんですが、
高徳院が昔は建長寺の管理下だったから臨済宗だったんだけど、
後に浄土宗になったから、阿弥陀如来になったそうで・・・。とか。*1
また、盂蘭盆会を彼岸と書くような吾妻鏡の筆者なら、
釈迦如来と阿弥陀如来を間違えて当然という説もあり・・・。*2
諸説は多いです。
現在、阿弥陀如来と断定されているのは、
指の組み方(定印)からで「上品上生」という
阿弥陀さま特有の印であるからなんですが、
衣は阿弥陀さまに多い偏袒右肩ってやつではなく、
通肩なんだとか、なんとか・・・・。なんだかなぁ。
おいら説。
あんな凄い工事、幕府が全面的に関わらなくては出来る訳ないですよねぇ。
一人の僧が集めたお金じゃあ無理だとおもいます。
吾妻鏡が日記調に書かれているとはいえ、
そんな間違えをしているとは考えにくい。
始めは「釈迦如来」を作るつもりだったんでしょう。
材料も用意して、さあ鋳型を作ろうという段階で気づきます。
鋳物でつくるとなると強度の問題もあり
「衣」も「印」も左右対称にせざるを得なかった。事実全く左右対称です。
釈迦如来の印、禅定印や施無畏・与願印では左右対称にならないんです。*3
それであの形になって結果として「阿弥陀如来」になってしまった・・・・。
出来上がったもののあんまり格好のいい話ではないから、
幕府としての関わりの記述は出来るだけ削除した。
どう??