木村家伝来 良寛墨宝展

[東京展]期間 2005年4月20日(水)〜26(火)
会場 東京美術倶楽部
105-0004 港区新橋6-19-15
公式サイト(?) http://www.nigensha.co.jp/data/ad_sb/20050405/





良寛さま

良寛さま

子供の頃、好んで偉人の伝記を読みました。
エジソンニュートンアインシュタイン
ナイチンゲール、ワシントン、リンカーン
キリスト、釈迦、孔子
ナポレオン、織田信長豊臣秀吉徳川家康
坂本竜馬西郷隆盛豊田佐吉、などなど。
良寛もそのひとつ。
私が実際に読んだのは上の本だったのかは
よく覚えていませんが、
この良寛さんだけは何が「教訓」だったのか
よく分からずに、逆に今でも一番よく覚えています。





良寛さんは曹洞宗の僧侶ですが、僧としてよりも、
歌人、書家として名を残しています。
印可の偈を受けながらどこの住職にもならず、
日がな一日、子供たちと鞠つきや、かくれんぼ。
酒や煙草が大好きで、経も読まず、説教もせず、
床の下に筍がはえてくれば床板をはずし、竹の生長を愛でて
「蚤虱音に鳴く秋の虫ならばわが懐は武蔵野の原」と、虱を懐で養う。

だからってチャランポランだったわけではなく「九十戒」にはただただ恐れ入ります。
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説教は嫌いだったようですが、人から相談を受ければこう答えていたといいます。


「災難に遭うときは災難に遭うがよろしく、死ぬるときは死ぬるがよろしく候
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候」


まったくです。どんな般若心経の解説文よりもこの一文ですな。




なんでしょこの人。
いや〜「でかい」「おっきぃー」人です。



でも、好んでよくつかっていたという、
「君看双眼色 不語似無憂」って漢詩*1
本当は孤独で寂しかったのでしょうか。
それともこの漢詩は悟りの境地なのでしょうか。。*2




「うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ」良寛 辞世の句


肝心の展覧会。
書は達筆すぎてよく分からなかったというのが実感です。
まともに読めたのは論語の書簡くらい・・・。
彼の独特な般若心経が好きなのですが、この展にはありませんでした。

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*1:大燈国師が「千峯雨霽露光冷」という句に対して、白隠が詠んだ下の句といわれています。

*2:漢詩の意味については当部漢詩担当の断腸がコメント欄に訳します。ほい。ホレッ。遅いっ!