法華経 その二

法華経〈中〉 (岩波文庫)

法華経〈中〉 (岩波文庫)

法華経〈下〉 (岩波文庫 青 304-3)

法華経〈下〉 (岩波文庫 青 304-3)

とっても面白いです。
ただ、何箇所かどうしても意味が分からない。



なんだかよくわからなくなるととりあえず、
一通り、斜め読みでざっくりと全体を読むのが、
私の悪いところ。



今回もそうなってしまったので、記憶が曖昧・・・。
多分、法華経初心者による間違いだらけの感想なので
間違いがあれば、指摘してください。



栴檀さんのコメントにもあったのですが、
法華経」のなかで「法華経」が出てきます。
つまりこの今読んでいる「法華経」は、
お釈迦様がお経のなかで説いてる「法華経」そのものではなく、
お釈迦様が「法華経」説いたときの様子が描かれているのでしょうか。
舟唄/なみだ恋の「舟唄」なんですが、
歌詞の中で、本当の「舟唄」は「♪○酒は〜」からではなく
「♪沖○かも〜」からですよねぇ。
法華経」はどこから「法華経」なんでしょか。



ただ「諸教の王」と、呼ばれる理由はよくわかりました。
はっきりそう書いてあるからなんですね。ちょっとがっかり。



もう一つの疑問は、この「お釈迦様による法華経を説く大会」
誰が何のためにどうやって集合させたのでしょうか。
人を集合させておいて、ここから先は難しいから言えない。と、釈迦。
舎利弗の三度のお願いでやっと話を始める釈迦。*1
だいたいこの大会は釈迦臨終直前なのか、臨終後なのかというところ。
なんで、私は敢えて死んでみたかみたいな言い訳のように読める文面はなんなんでしょ。



観音菩薩普門品」も「観音経」として独立して考えればなんてことはないんですが、
法華経」の中に組み込まれていると「菩薩」にすぎない「観音」をなぜここで、
釈迦が賛歌するのかも理由がよくわかりません。
「観音」ってなんなんでしょ。超能力においては他の「如来」に劣ることもなく、
だとしたらなんで、「菩薩」止まりなんでしょ。



また、サンスクリットの訳には、
人種や性別に差別的な表現らしきものがあるような気もしますね。
鳩摩羅什はそれをボカしているような気がしてなりません。



七つの譬喩の話についてもよくわかりませんでした。
私にはどうしても「いい話」とは聞こえません。



「お釈迦様による法華経を説く大会」
最後はどう解散したのでしょうか。
集合時に比較して解散時はとても少ない表現のような感が・・・。




何度か読んでみないとわからないのでしょうね・・・・。


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*1:ちょっと考えてしまいました。「仏の顔も三度まで」という諺は「〜三度から」の誤りなのではと・・・。