二宮神社〜七五三について〜

二宮神社

祭神 建速須佐之男命稲田比売命大国主命藤原時平
七年祭での役割 父・夫
別当 真言宗豊山派 醫王山 高雲院 神宮寺
274-0072
船橋市三山5-20-1





七五三参りがみられる時季になりました。
千葉・船橋習志野・八千代の周辺にお住まいの方で
将来お子さんの受験合格の祈願を将来天神様にお参りするであろう方は、
七五三参りの神社選びにも注意が必要です。




写真は去年のうちの次男の七五三。
この神社は二宮神社といいます。








由緒は、弘法大師の時代、弘仁年間嵯峨天皇の勅創といわれ、
昔は寒川神社二宮大神と称したようです。
延喜式神明帳にある下総の「寒川神社」はここだという説が有力で、
近郷二十三村の総鎮守と称し丑年と未年の七年毎には、
二宮神社を含む十ヶ所の九社の十の神輿が集まり、
「三山七年祭」として勇壮な大祭が行われます。

二宮神社船橋市三山)夫・父
子安神社(千葉市花見川区畑)妻・母
時平神社(八千代市大和田)息子・長男
時平神社(八千代市萓田町)息子・長男
八王子神社船橋市古和釜)末息子
高津比竎神社(八千代市高津)娘
菊田神社(習志野市津田沼)伯父
大原大宮神社習志野市実籾)伯母
子守神社千葉市花見川区幕張)子守
三代王神社(千葉市花見川区武石)産婆

このお祭りは文安二年(1445)当時の領主千葉康胤の妻の
安産の祈願成就の御礼からのものなのですが、
それよりも250年以上前の治承四年(1180)、
上記の津田沼・菊田神社の地に左遷されて漂流した
藤原師経が流れ着いたそうです。*1
で、その後この地に住み着き、自分の先祖の藤原時平を合祀したようで、
この近隣の神社には藤原時平の命を祀っている神社が多いのです。
他の説では、子孫の師経左遷のずっと前に、
時平の死後にその妻と娘の高津姫がこの地に落のびたというものもあります。
上記で分かるとおり、八千代市には、
その名もずばりの時平神社、高津比竎(ヒメ)神社という神社もあります。




藤原時平といえば、菅原道真を謀り大宰府に左遷させた張本人。
本人はその「祟り」からか、早逝しています。
さすがに神様になったとはいえ菅原道真公も
怨敵・藤原時平公やその娘さんを祀っている神社に七五三参りした子供は、
助けてくれないような・・・。



考えすぎ!?
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*1:師経のお姉さんが流れ着いた所は姉ヶ崎になりました。