元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住東京勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン二郎(京成大久保店がホーム)・蕎麦が大好物。

習志野ってどこ??

明治天皇書「習志野原」




何度がお話ししていますが、
私、習志野市に住んでます。
実はここ本当の「習志野」ではありません。
私が今住んでいるここ、現在の「習志野市」の大部分は、
明治21年(1888)の町村制が施行により
、久々、鷺、藤崎、大久保新田
の五村連合で津田沼村と名づけられた地なんです。
本来なら「津田沼市」となるべきだったのでしょう。




では本当の習志野はどこなのか??。
本当の習志野の元祖、「習志野原」は
ほとんど船橋市にあるんです。
なんと習志野とつく町名、
習志野」も「習志野台」も「西習志野」もみんな船橋市
新京成線の「習志野駅」「北習志野駅」も、
習志野」ナンバーの習志野陸運支局も船橋市にあるんです。




そもそも「習志野原」。その名付け親は明治天皇
明治6年(1873)、西郷隆盛元帥の指揮により
明治天皇観覧の陸軍大演習がこの地で行われました。
そこで抜群の奮戦活躍をみせた西郷指揮下の篠原国幹少将を
天皇自ら彼を近くに召して誉め、
「篠原に習え。」という意から
「今日よりこの地を習志野原と名づけ、操練場と定む。」としました。




篠原ではなく桐野利秋少将が活躍していたら、
「習喜利野」になっていたのかもしれません。(笑)




さてその後四年後、西南の役で、篠原は西郷に先立ち
激闘の地、田原坂で死にますが、
一時的とはいえ国賊となった彼の名の付く地名が
その後も今も残ったのは、
明治天皇が彼等を深く愛していたからなのでしょうか。
(篠原の墓は鹿児島の地で西郷の右に並びます。)




参考サイト 篠原国幹 - Wikipedia



もうすぐ「坂の上の雲」がドラマ化されると聞きました。
主人公(兄)秋山好古が騎兵連隊を作ったのがここ習志野原です。
この習志野騎兵旅団司令部跡だけはかろうじて現在の習志野市内です・・・。
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