入谷鬼子母神堂 (真源寺)

入谷鬼子母神堂

宗派 法華宗本門流
本堂本尊 一塔両尊四士
110-0004 台東区下谷1-12-16




中山法華経寺お参りの時にも触れた、江戸三大鬼子母神の中でも、
「恐れいりやの〜」で全国的に一番有名なこちら。
でも今は町名変更で下谷なんですねぇ。
「恐れしたやの〜」では笑っちゃいます。




そもそもその「恐れ入谷の〜」。続き知ってます??。
これ、大田南畝(蜀山人)の狂歌で、
「恐れ入谷の鬼子母神、どうでも有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様」
って続きます。
さらにこれが変化して、
誰が作ったか、このフル・バージョンとなると、
「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、
志やれの内のお祖師様、うそを築地の御門跡」
・・・となります。
なんだかなぁ・・・。



ご開帳は毎月八の日の祭礼と、
1、5、9月の28日の大祭だけなんですねぇ。
出直します。




門前の台東区教育委員会の案内板。
お上の作成したものながら、
鬼子母神」の「鬼」の字の上の角がありません。
中山にしてもこちらにしても、
寺院が記す鬼子母神
仏になってからは「鬼子母神」の「鬼」には角をつけないんです。
教育委員会が辞書にはないこの字を使っているのはちょっと驚きですね。





さてこちら、7月6日、7日、8日の朝顔市でも有名です。
でも実はその歴史は浅いんです。




この地には江戸時代から植木屋さんが多く軒を連ねていたそうです。
植木屋さんが多いというのは郊外の証なんですよ。
植木を休ませる広大な土地が必要ですから。




兎にも角にもこの地の土質が朝顔造りに適していると、
植木屋さんが盛んに朝顔を造ったのは明治になってからのこと。
当時すぐそばの根岸に住んでいた正岡子規の俳句二句、
「入谷から出る朝顔の車かな」、「銭湯で聞く朝顔の噂かな」でも、
分かる通り、一種のブームだったのでしょう。
子規はブームに敏感なんです。




しかしブームというのはすぐに終焉を迎えるもので、
需要と供給、地価と単価のバランスがくずれ、
大正の初めには最後の朝顔屋さんが廃業します。




現在の朝顔市は戦後に観光連盟が復活させた復刻版なんですよ。




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