和気清麻呂像

和気清麻呂像

100-0004 千代田区大手町1-4 大手壕緑地




すっかり[銅像]ブログになりつつあります。
タイトルも
「どうぞうの世界に銅像!!」
に変えちゃいますかねぇ?!。




さて皇居の周辺にはなぜか軍への供出されなかった
戦前に作成された六体の銅像が残ります。


紹介済みの皇居外苑楠木正成像、
靖国神社大村益次郎像に加え、
九段坂上の品川弥次郎像、大山巌像、
北の丸公園北白川宮能久像、
そして今日のこちら、
大手町のお堀の淵に立つ和気清麻呂像です。




これはとても不思議なことです。
供出されなかった銅像
軍事色の強いものはGHQに潰されているのです。
これらの六体が残された理由はなんでしょうか。
めぐってみて考えてみます。
銅像正面   
さて今日はこちら和気清麻呂です。
他の五人と比べてもダントツに古い時代を生きた人です。
こちらも忠臣、正一位です。ですが、あまりに昔の人なので
こちらの像が似ているかいないのかはわかりません。
この銅像皇紀二千六百年を記念した昭和十五年(1940)、
建設委員長に陸軍大将、林銑十郎をむかえて建立されました。
そんな銅像ですから、
よくある「教育委員会」等の説明看板がありません。
誰かが見かねたのか
手書きの説明文が貼られていました。
説明文ビラ   
簡単に説明すれば、


和気清麻呂 天平5年(733)〜延暦18年(799)
日本史上最「悪」の僧侶といわれる、
自ら天皇の座を狙った道鏡
その道鏡に追われ流されたものの
その道鏡を阻止して失脚させた後に召還され、
平安京遷都に尽力してみとめられた忠臣なのです。
護王神社のご祭神でもあります。



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