金剛山 金乗院 平間寺 (川崎大師)

大山門

宗派 真言宗智山派 大本山
本尊 厄除弘法大師
210-8521 川崎市川崎区大師町4-48
公式サイト http://www.kawasakidaishi.com/
札所 
関東八十八ヵ所 特別霊場
玉川八十八ヶ所 第一番
関東三十六不動 第七番 (不動堂)
武相二十八不動 第一番 (不動堂)




のんびり仕事のついでがてら(笑)。
川崎の得意先に訪問したのでこちらにお参りしてみました。




こちらのお寺の歴史、
公式サイトやパンフを参考に、
簡単な言葉で説明します。




時は平安時代の後期、
第七十五代崇徳天皇の世(即位1123〜1141)の頃の話ですから、
興教大師覚鑁(1095〜1143)の生きた時代です。




平間兼豊・兼乗という、尾張(現在の名古屋)出身の武士の親子が、
無実の罪により追放され流浪し、この川崎の海で、
漁師として細々と暮らしていたそうです。
ある夜、息子兼乗の枕元に、
高僧らしいお坊さんが立ってこう言いました。
「俺、昔、唐(中国)に行ったとき、自分の像を彫って、
海に投げたことがあったんだ。でもまだ誰にも縁がないんで、
お前、すぐに網で掬って供養して、この功徳をいろんな人に及ぼしてみな。
そうしたらお前の厄も変って福になって願い事も叶うから・・・。」
さっそく朝すぐに海に出てみると、光輝いている場所がある!!。
(この地が現在の夜光町なんですけど、あれ!?それじゃ朝光町では??。)
さて網を投げてみると、大師像が引き上げられたんで、
この像を清めて、草庵を結んで供養しました。




そこに諸国遊化をしていた高野山のお坊さん、尊賢上人が通りかかり、
その話と、その像をみて感泣しちゃったもんですから、
兼乗にすすめて、大治三年(1128)一寺を建立しました。
兼乗の苗字をもって平間寺として、
その像を「厄除弘法大師」と称しました。




ほぇ!?、この夢枕のお坊さん、
自分で弘法大師だって名乗っているわけではないんですね。
空海に「弘法大師」の諡号が贈られたのは死後86年後のことですから、
本人が「弘法大師」を名乗ることもないんでしょうが、
唐に渡った高僧なら、伝教大師最澄を含めて何人もいます。
これ、本当に弘法大師??・・・。




・・・すみません、話を戻します。




その後、夢のお告げ通り、兼乗は無実の罪を拭われて、
尾張の地に帰任するんですが、
開基した尊賢上人が、鳥羽上皇のお后様にこの話をして、
祈祷をしてみると、たちまち霊験あらたかに、
後の第七十六代近衛天皇がお生まれになったそうです。
これにより、勅願寺(天皇祈願寺)のご宣旨がくだされ、
今も菊の紋をかかげることが許されています。




徳川将軍家もこちらへの帰依が篤く保護され、
江戸時代以降もその参詣の人々は絶えずに現在に至ります。





だけど、やっぱり空襲でやられちゃって、
歴史のある建造物はほとんどありません。
なかでも比較的古い不動門と、
不動堂は成田山新勝寺不動明王のご分躰を勧請し、
奉ったものだそうですから、
ある意味、成田山川崎大師内出張所のようなもんなのですね。




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