この辺りの住所は「小野」ですし、
この地は万葉集やその他の古文書にも登場することから、
案外、本当にそうかもしれませんが、
こちらの観光協会が信じている言い伝えによれば、
平安時代の歌人、小野小町は、
奥州への旅の途中、清瀧観音のお参りの後に病に倒れ、
元慶七年(883)にここで69歳で亡くなったとされています。
水車のある「小町ふれあい広場」に車を停め、
約10分程歩けば、小野小町の墓だと云われている石塔があります。
巨木の横に、角が丸く風化した五輪塔。
行基菩薩や弘法大師と同じように、
いったい日本には何人、小野小町がいたのでしょうか。
お墓はここの他、京都、福島、岡山、山口にもあります。
でもまぁこの地で美しい旅の独身の老婆が亡くなったことは事実なんでしょう。
墓の左には、この伝説が後世まで語り継がれるようにと、
小田城城主、小田氏治(天庵)が自署したものを彫らせたという、
「心花石」が現存します。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに