「松江豊寿と会津武士道〜板東俘虜収容所物語〜」

朝日新聞1月3日39版





九十九里に宿泊して、
テレビで箱根駅伝を観てから帰ってきました。
そんなに大学に対する愛校精神の強いほうではないのですが、
母校が出場していないとどうにも応援に熱が入りません。
かみさんのほうは、高校サッカーで、
母校・八千代高校が大活躍しているので興奮しております。




さて愛校精神に似たライバル心(?)で、
西郷寅太郎と習志野俘虜収容所を愛する私としては、
松江豊寿とその板東俘虜収容所に関しては、
あまり詳しくはありません。

松江豊寿と会津武士道―板東俘虜収容所物語 (ベスト新書)

松江豊寿と会津武士道―板東俘虜収容所物語 (ベスト新書)

本屋でこの本を見かけました。
そうか、松江豊寿さんって、
戊辰戦争では「朝敵」「賊軍」とされ、
維新後も辛酸をなめた会津の出身なんですよねぇ。
西郷寅太郎さんも父は西郷隆盛です。
西南戦争では「朝敵」「賊軍」とされ、
彼の青年期にはかなりの苦労があったはず。
その二人の寛大な敗者への「武士の情け」が、
現在も続く、日本とドイツの交流を生み出したなんて、
もっともっと誇るべき話だと思うんですよ。




この本を読んで驚いたのは、
板東のドイツ兵俘虜が編集していた、
「ディ・バラッケ」という俘虜収容所新聞の、
自由な論調とその内容です。
ある日の論説はなんと「武士道」。
日本人ですら、忘れているか、
よくわかっていない「武士道」を、
実に短く的確に捉えているんです。

収容所の戦友のなかには「武士道」という言葉を知らない者が多いことであろう。それゆえちょっと簡単に説明しよう。関心をもっている人もいることだろうから。
「武士道」とは日本語の「武士」プラス「道」、すなわち戦士のあゆむべき道であり、いい換えると古い封建社会のなかで日本の騎士、サムライの古い作法であり、サムライが守るべきあらゆる道徳的な原理がそこに含まれている。
自己の行いに責任を持ち、自制心を鍛錬し、恥を知ることである。
決断に関しては熟考し、臆病でないこと。
主人と祖国のために、命をすすんで投げ出すこと、弱者と貧者に好意を持ち、親切であること、さらに倹約を実行し、華美を戒めること、あらゆる不正に対する羞恥心と正義を行うという名誉心のなかに、おそらく武士道の最高の神聖性がある。

すごいでしょ!!。
ドイツ人がただ新渡戸稲造の「武士道」を読んだって、
訳された「葉隠」を読んだって、
絶対にここまでちゃんと「武士道」を理解できないと思うんです。
おそらくこの論説の著者は、
武士道を知る武士と、人間と人間の対話をして、
分かり得た「武士道」のはず。
ひょっとするとその武士は松江その人であったのかもしれません。




またこの板東俘虜収容所がいかに自由であったかは、
やはりこの「ディ・バラッケ」にみることができます。
この板東俘虜収容所は、
四国八十八ヶ所の一番札所、霊山寺に近いこともあり、
多くのお遍路さんとの交流があったのか、
四国霊場巡礼」を解説する論説もあるのですが、
この文章も実によくを捉えていて、
お遍路さんの内面にまで触れ、理解し、
「付いていきたい気持ちになる。」という心情をももらすほど。
・・・びっくりです。




松江豊寿さんに関し、
もうちょっと調べてみたくなりました。




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