羽田の大鳥居

羽田の大鳥居

144-0041 大田区羽田空港1 地先?
穴守稲荷神社公式サイト http://anamori.jp/




羽田空港の西南のハズレの川原の縁に、
ひっそりと、この鳥居はあります。




場所は → ここ




そもそもは、この鳥居とその本社殿である穴守神社は、
これより東北800mの現在の羽田空港の敷地内にありました。




終戦直後の昭和20年(1945)9月21日のことです。
GHQは軍事飛行場を建設するとして、
現在の羽田空港のあるこの地の、
1200世帯、3000名へ対し、
48時間以内の強制退去を命じます。
その時穴守神社は現在の地に遷り、
当時の建築物はすべて取り壊されたといいます。
しかしなぜか、この昭和初期に建立された鳥居一つだけが、
旧地(空港敷地内)に取り残されて建っていました。




真偽の程は分かりませんが、
鳥居を壊そうとした米軍の工事の担当者が、
次々に変死しただの、事故に遭っただの、
オカルト的な噂は広まり、
後のあの羽田沖での狂った機長の逆噴射まで、
こちらの祟りであると云われる始末・・・。
私も子供の頃、雑誌「ムー」で読み、
そう信じていましたっけ。




しかし工事関係者という人たちは、
こういう「縁起」の悪い噂を信じる人も多いもので、
みな及び腰になってしまったのか、
つい数年前まで、この鳥居はぽつんと、
空港内敷地の旧地に建っていたんです。





諸説の一つには、GHQが、
日本の象徴である天皇制の源流である、
神道のその象徴の鳥居をわざと、
その軍事力の及ぶ表玄関の空港内に、
取り残し孤立させることで、
支配力を誇示し、その強化を図ったのではないか。
と、いうものもありますが、、
そうだとすれば、まったくの逆効果になりました。

今から約十年ほど前に、
新B滑走路建設計画の為、
ついに撤去せざるを得ないこととなりましたが、
付近住民や、旧住民の有志は、
移転の費用を負担してでも、
取り壊さずに移転したいと陳情します。
それが認められ、とうとう8年前の平成11年(1999)2月3日、
祟りを怖れる多くの関係者が見守る中、
鋼材で補強された鳥居はクレーンで吊り下げられ、
四日をかけて800m移動し、
何事もなく、無事にこの地に遷りました。
平和の額   
その時にこの額束にこの「平和」という額が掛ったそうです。
信楽焼のタヌキ
なぜか鳥居の前の広場のベンチの横に、
こんな信楽焼の(×)馬油(○)タヌキの置物。
どういう意図なのかは不明です。



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追伸;こちらは現在、神社の鳥居ではありませんが分類上[他の神社]にも加えました。