西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

勝海舟像

うんこビル

130-0001 墨田区吾妻橋1-23-20
墨田区役所前うるおい広場内
公式サイト http://www.katsu-kaisyu.net/index.html
勝海舟像   
みうらじゅんさんが「マイブーム」という言葉を作る前から、
バリバリのマイブーマーだった私です。
若き日の「新選組マイブーム」は、
子母澤寛マイブーム」を中継し、
当然「勝海舟マイブーム」へと発展しました。
結局、このマイブームは、
海舟の父の「勝小吉プチマイブーム」と、
山岡鉄舟マイブーム」へと分岐し、
大きく発展し、通り過ぎて往きましたが
勝海舟とその父・勝小吉について様々な本を読み尽くしたつもりです。
新装版 父子鷹(上) (講談社文庫)新装版 父子鷹(下) (講談社文庫)
とっかかりはまずこの二冊。
「鳶が鷹を生んだ」を否定し、
父と子、二人の「鷹」を描きます。
勝海舟(一) (新潮文庫)勝海舟(二) (新潮文庫)勝海舟(三) (新潮文庫)
勝海舟(四) (新潮文庫)勝海舟(五) (新潮文庫)勝海舟(六) (新潮文庫)
この後の海舟をじっくりと読むなら、
同じ作家ですから、
「父子鷹」二巻と重複する部分も多いのですが、
この六巻は外せません。
ただしこれら二作はあくまで小説ですから、
本人たちの生の声を聞くならば、

夢酔独言 他 (平凡社ライブラリー)

夢酔独言 他 (平凡社ライブラリー)

小吉親父の記した、これか、
氷川清話 (講談社学術文庫)

氷川清話 (講談社学術文庫)

晩年の海舟との座談を記録したこれをお勧めします。




日本の歴史の人物たち。
なぜか、多くを語り、長生きした人物が、
あまり評価されません。
黙って早死にする人物ほど、
英雄とされる傾向にありますが、
海舟はその悪い例の代表格のような人物です。
でも私は実際、スゲェおっさんだったと思っておりますよ。




さてさて、もとい、この二人の親子の物語・・・。
なんといっても一番の素晴らしい逸話は、
海舟こと幼き麟太郎が九つの時、
狂犬に襲われ、睾丸の片方を食いちぎられ、
医師さえ諦めた、生死を彷徨う息子を、
水垢離をして祈り、三日三晩抱きしめて、
体温を上げ続けて助けた、
その父親の強い愛情にあると思います。
子母澤の小説では、能勢妙見堂(墨田区本所4-6)で、
題目を称え水垢離をとって祈願したとされ、
そちらには海舟の胸像すら建立されていますが、
小吉本人の夢酔独言 他 (平凡社ライブラリー)には、
「其晩から水をあびて、金比羅へ毎晩はだか参りをして祈った」
と、ありますから、能勢妙見堂は子母澤の創作で、
本当は、竹町金刀比羅神社(台東区台東2-24)だったのかもしれません。




とにかく、今の私としては、
まったく理想の父でありんす。
こんな親父になりたいと、
心から思っております。



勝海舟墓
そんな訳でこのマイブーマーな掃苔家は、
洗足池公園内(大田区南千束2-3)の、
勝海舟夫妻の墓はもちろんのこと、
改葬前に小吉の墓があった神楽坂の寺や、
現在の勝家の墓にお参りしに、
青山霊園にも伺うばかりか、
島田虎之助墓
海舟の剣の師匠である、
島田虎之助の墓にお参りに、
正定寺さん(台東区松ヶ丘2-1-2)にまで伺いました。




そんな私ですから、
もちろん「勝海舟銅像を建てる会」は、
もちろん存じておりましたが、
「第14回東京メトロ沿線ウォーキング」のチラシを見ると、
私の知らないうちに、平成15年の海の日に、
その会の願いを無事成就して、
うんこビルのすぐ横の区役所の広場に、
ちゃんと銅像を建立していたのですね。
まったく知りませんでした。
自称・銅像マニア失格です・・・。(汗)
    
台座
台座には自筆の号の「海舟」と、
維新後、安房守→(あほう)から同じ音を選んで付けた「勝安芳」。
銅像近影
勝海舟の写真は何枚も現存していますけど、
正直、まったく、




に、似てねぇ〜・・・。




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