130-0001 墨田区吾妻橋1-23-20
墨田区役所前うるおい広場内
公式サイト http://www.katsu-kaisyu.net/index.html
みうらじゅんさんが「マイブーム」という言葉を作る前から、
バリバリのマイブーマーだった私です。
若き日の「新選組マイブーム」は、
「子母澤寛マイブーム」を中継し、
当然「勝海舟マイブーム」へと発展しました。
結局、このマイブームは、
海舟の父の「勝小吉プチマイブーム」と、
「山岡鉄舟マイブーム」へと分岐し、
大きく発展し、通り過ぎて往きましたが
勝海舟とその父・勝小吉について様々な本を読み尽くしたつもりです。
とっかかりはまずこの二冊。
「鳶が鷹を生んだ」を否定し、
父と子、二人の「鷹」を描きます。
この後の海舟をじっくりと読むなら、
同じ作家ですから、
「父子鷹」二巻と重複する部分も多いのですが、
この六巻は外せません。
ただしこれら二作はあくまで小説ですから、
本人たちの生の声を聞くならば、
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日本の歴史の人物たち。
なぜか、多くを語り、長生きした人物が、
あまり評価されません。
黙って早死にする人物ほど、
英雄とされる傾向にありますが、
海舟はその悪い例の代表格のような人物です。
でも私は実際、スゲェおっさんだったと思っておりますよ。
さてさて、もとい、この二人の親子の物語・・・。
なんといっても一番の素晴らしい逸話は、
海舟こと幼き麟太郎が九つの時、
狂犬に襲われ、睾丸の片方を食いちぎられ、
医師さえ諦めた、生死を彷徨う息子を、
水垢離をして祈り、三日三晩抱きしめて、
体温を上げ続けて助けた、
その父親の強い愛情にあると思います。
子母澤の小説では、能勢妙見堂(墨田区本所4-6)で、
題目を称え水垢離をとって祈願したとされ、
そちらには海舟の胸像すら建立されていますが、
小吉本人の夢酔独言 他 (平凡社ライブラリー)には、
「其晩から水をあびて、金比羅へ毎晩はだか参りをして祈った」
と、ありますから、能勢妙見堂は子母澤の創作で、
本当は、竹町金刀比羅神社(台東区台東2-24)だったのかもしれません。
とにかく、今の私としては、
まったく理想の父でありんす。
こんな親父になりたいと、
心から思っております。
そんな訳でこのマイブーマーな掃苔家は、
洗足池公園内(大田区南千束2-3)の、
勝海舟夫妻の墓はもちろんのこと、
改葬前に小吉の墓があった神楽坂の寺や、
現在の勝家の墓にお参りしに、
青山霊園にも伺うばかりか、
海舟の剣の師匠である、
島田虎之助の墓にお参りに、
正定寺さん(台東区松ヶ丘2-1-2)にまで伺いました。
そんな私ですから、
もちろん「勝海舟の銅像を建てる会」は、
もちろん存じておりましたが、
「第14回東京メトロ沿線ウォーキング」のチラシを見ると、
私の知らないうちに、平成15年の海の日に、
その会の願いを無事成就して、
うんこビルのすぐ横の区役所の広場に、
ちゃんと銅像を建立していたのですね。
まったく知りませんでした。
自称・銅像マニア失格です・・・。(汗)
台座には自筆の号の「海舟」と、
維新後、安房守→(あほう)から同じ音を選んで付けた「勝安芳」。
勝海舟の写真は何枚も現存していますけど、
正直、まったく、
に、似てねぇ〜・・・。