祭神 徳川家康公 徳川秀忠公(?)
273-0005 船橋市本町4-29
昨日、上野東照宮の記事を書くために、
東照宮について調べていると、
地元の船橋東照宮が、
「日本一小さい東照宮」であることを知りました。
東照宮にまったく興味のなかった私ですが、
上野東照宮にお参りして度肝を抜かれ、
ちょいと東照宮ミニ・マイブーム中なもんですから、
日本最小と聞いては、
さっそくお参りしてみましょう。
さすがに妻子はついてきてくれません(泣)。
「千葉県の歴史散歩」で、
おおまかな場所を確認したら、
「行けば分かるだろう。」と家を出ました。
船橋は昔からの宿場町。
今でも多くの神社仏閣や古い商家が現存しています。
江戸から、船橋をつなぎ、
我が家の前を通り、東金の狩猟場にむかう東金御成街道は、
大御所・徳川家康が東金に鷹狩りに行く際に作られた道です。
慶長19年(1614)頃、宿場町・船橋に、
家康の休息・宿泊の為の御殿、
船橋御殿が建造されたそうです。
でも実際家康が宿泊したのは、
元和元年(1615)11月の一回きりで、
翌年に家康は没していますから、
寛永7年(1630)に東金狩猟場が廃止されるまで、
実際にこちらになんどか立ち寄ったのは、
二代将軍・秀忠だったようです。
寛文末年頃(1672)にこの御殿も廃止となり、
その中心地にこの東照宮が建立されました。
たとえ東照宮の祠は小さくとも、
敷地はある程度あるのだろうから、
行けば分かるだろうと思っていたら、
まったく見つかりません。
家で留守番しているかみさんに泣きを入れ、
PCで調べてもらい、
どうにかこうにか辿り着きました。
住宅街のど真ん中。
小さな小さな敷地の中に、
「東照宮」と「御殿稲荷」の二つの祠が並んで祀られています。
案内板にも「御殿稲荷」の由緒の説明はありませんでしたが、
私の勝手な推測では、
船橋は戊辰戦争の激戦地にもなったので、
東照宮をお稲荷さんに変えて、一時的に「徳川色」を、
伏せたものではないかと想像しています。
本当に小さな祠です。
中には、日光東照宮のお神酒の真ん中に、
「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし」という、
あの家康公遺訓が奉られていました。
徳川家康。
戦国の武将としては、
私はあまり好きなタイプではありませんが、
この遺訓は偽書かもしれませんが、いい文章だと思います。
知らない人の為に念の為に挙げておきます。
人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、
いそぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心にのぞみ起こらば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。
勝つ事ばかり知って負くる事を知らざれば、害、その身に至たる。
己を責めて人を責めるな。
及ばざるは過たるより勝れり。
慶長八年正月十五日 徳川家康
酔っ払いのオイラ訳。
人間の一生なんてもんは、
重い荷物を背負って長い道を行くようなもんさ。
急いじゃダメだ。
不自由なことがいつもなんだと思えば不足なんて感じないよ。
心になにか欲望が浮かんだら、
困り果てて苦しんだことを思い出そうぜ。
他人に対する怒りを抑えて、
他人の過ちを許すことが、
何事もなく無事であることの基本なんだよ。
他人への怒りこそが敵さ。
自分が勝ってばかりで、
負けることを忘れてしまったら、
その悪い結果や影響は自分に返って来るぞ。
自分を責めても他人を責めんなよ。
足りないことは余ることよりよっぽどいいんだよ。
西暦1603年2月25日 狸爺
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