祭神 星影神(=稲荷神?)
274-0806 船橋市二和西3-6-43
義父の菩提寺に行く途中、
いつもずっと気になっていた、
このロマンチックな名前の神社です。
まさか千昌夫の「星影のワルツ」の、
ヒット祈願神社ではないでしょう。
吉橋大師講の札所が二つあるようで、
検索でこちらに来てしまう人も多いようです。
折角の平日二連休ですから、
一人でお参りして調べてみました。
広大で肥沃な下総の台地は、
古くから馬牧にされていましたが、
維新後、明治政府は、窮民授産事業として、
その馬牧の開墾を計画します。
これが、明治二年(1869)に民部省に上申された、
「下総牧々開墾大意」です。
開墾は入植順に、地名に数字が付けられ、
それが今でもほとんど現存しています。
ここ、船橋市二和は、その開墾順が、
二番目ということです。
それでは行ってみましょう。
下総牧々開墾順位ランキング、
あなたの町は何位♪
- 初富
- 二和
- 三咲
- 豊四季
- 五香
- 六実
- 七栄
- 八街
- 九美上
- 十倉
- 十余一
- 十余二
- 十余三
さて、二和の話に戻りますが、
この辺りには神社がなかったそうで、
入植者が建立したのがこの星影神社です。
朝、星が残るうちから、
夕、星が瞬くまで働きづめ、
「言語に絶する困難な生活」を送りながらも、
この二和を和合豊民の郷土にしようと、
この神社に願いを込めました。
小さな神社です。
一部のサイトでは主祭神は「星影神」とありますが、
吉橋大師の資料にも、「星影神社稲荷社」とありましたし、
本殿の前の神使はキツネさんですから、
お稲荷さんに間違いないようです。
元々お稲荷さんは農耕の神様ですもんね。
上の文章は、一部この碑文を参考にしています。
この碑は昭和四十三年(1968)に建立されました。
私が生れる一年前だ。
あれ、開墾は明治二年(1869)だから一年フライングじゃん??(笑)。
こちらが、吉橋大師講第四十二番の男子厄除大師と、
第二十三番の女子厄除大師の祠です。
廃仏毀釈の後に作られた神社の境内に、
元々この辺りにあったであろう
弘法大師の祠を祀ったのは、
いったい、いつのことなんでしょうか。
元々この祠のほうが先にあったのかもしれません。