陸軍習志野学校跡地

習志野の森1

習志野の森
275-0006 習志野市泉町3-10
公式サイト http://www.geocities.jp/narashinonomori/




参考サイト
→ 陸軍習志野学校 - Wikipedia
→ 陸軍習志野学校




→ 過去の「習志野騎兵」関連の記事




今日も習志野ネタですみません。





さてこの地には元々、
陸軍騎兵第二旅団(第15・16連隊)がありました。
昭和七年(1932)12月、
時代の流れにより騎兵が縮小となり、
第16連隊が移転後、その施設を利用して、
生物兵器化学兵器、毒ガスを研究する、
通称「毒ガス学校」こと「陸軍習志野学校」が開校しました。
後には元の第二旅団の半分の第15連隊の施設も利用され、
明治からの騎兵の町だった習志野は、
昭和十年(1935)には、
ほぼ半分以上、陸軍習志野学校の敷地となっていたそうです。




その習志野学校の中心地だった付近が、
現在のこちら泉町なんです。
この地は戦後、千葉大学の分院・付属の、
千葉大学腐敗研究所となったものの、
その研究所が、昭和五十二年 (1977)に、
千葉市内に移転した後は、
大蔵省の所管となりました。
そしてつい最近までは、
そのまま財務省の所有となり、
そのまま木々が深く生い茂り、
この近辺では珍しい、
太古を思わせるような、
鬱蒼とした原生林のようになっていたのです。




しかし近年、
旧陸軍の毒ガスの一部が、
現在の所在不明であることが、
浮き上がり、
なんと、どうも、それが、
この習志野学校跡地に、
あるのではないかという疑惑が高まり、
平成十六年(2004)〜平成十七年(2005)に、
大規模な調査が行われました。



この地の材料厰地下に、
イペリット」「ルイサイト」「青酸」などの、
化学物質を埋設したという証言があったものの、
ガス成分・不審物などは発見されず、
とりあえずは、現在無罪放免。
現在では近隣の他の地域の調査が、
引き続き行われているそうです。




でも、その時の調査によって、
ジャングルのようだった習志野の森は、
すつかり下刈りしちゃったので、
現在では原生林という感じではありません。
習志野の森2 習志野の森3 
習志野の森4 習志野の森5
さてさて今日は、、
この地を管理する「みどりの会」の行う、
年に四回の、習志野の森の開放日。
私も子供の頃には何度も不法侵入しました(時効成立済)が、
正々堂々と入場することも、
きれいに下刈りされてしまった後に入場するのも、
実は初めてのことなんです。
習志野の森6 習志野の森7
習志野の森8 習志野の森9   
だけど、その下刈りのおかげ?で、
今でも数々と残る、
当時の遺構の跡を見る事が出来るようになりました。
騎兵連隊?習志野学校?千葉大腐敗研?。
これはいったい、
いつの時代のものなのか・・・。
案内板   
毒ガス疑惑の頃には、
この辺りはみんな封鎖されて、
そこいら中にこんな注意書きが立っていました。
動物慰霊之塔1 動物慰霊之塔2
子供の頃の不法侵入では気付かなかった、
敷地中央付近にある、
「動物慰霊之塔」です。
毒ガスの実験で殺された動物達の慰霊碑と思われます。
皇紀二千六百年一月建立  
すぐ近くの誉田八幡神社にある、
栗林忠道の揮毫の碑と同じく、
昭和十五年(1940)1月に、
皇紀二千六百年を記念して建てられたもののようです。
削り取られた揮毫  
しかし揮毫の、陸軍少将(?)西(?)○○○の文字は、
どういう訳か、グリグリに削り取られていました。
動物慰霊之塔裏  
この塔の裏側の空洞に
なぜか、鳩のものとおもわれる、
鳥の羽がびっしりと落ちていました。
・・・なにこれ?。
裏門 守衛所 
この地からちょっと北に外れると、
裏門と歩哨のボックスのようなものも残り、
馬が飛び出さないような、
馬牧の堤のようなものも長く平行に続きます。



「先の戦争」という言葉に、
違和感を感じる世代ではありますが、
その「戦争」は、
実はさほど遠いものではないのですね・・・。




にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← 二つのランキングに参加中。
人気ブログランキングへ ← どちらも応援クリックをお願いします。