下総国総鎮守
祭神 誉田別命(応神天皇)<中御前>
息長帯姫命(神功皇后)<東御前>
玉依姫命<西御前>
272-0021 市川市八幡4-2-1
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以前コメント欄で、馬油と話題になった、
「八幡の藪知らず」(やわたのやぶしらず)。
ふと思い出し、ちょいとお参りしてみました。
元縣社葛飾八幡神社。
創建は寛平年間(889〜898)、
「下総国総鎮守」とも呼ばれ、
平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康という、
関東に関わる武家オールスターズに近い、
「もののふ」達の信仰を受けた由緒正しき八幡神社です。
こちらに限らず八幡神社の主祭神は、
言わずと知れた応神天皇。
大概その母、神功皇后も合わせて祀っていますから、
皇室色が強く、明治維新の神仏分離では、
別当であった寺院は廃寺となったものが多いです。
こちらにも天台宗寛永寺の末寺、
「八幡山法漸寺」が別当としてありました。
ですから、この随神門には、
本来阿吽の仁王がありましたが、
現在は行徳の徳願寺に移されているそうです。
(筑波山と似ています。)
私の大好きな東郷平八郎さん。
日本の軍人で一番「筆まめ」と思われ、
そこら中に、彼の書は残りますが、
ここにも揮毫していました。
「縣社葛飾八幡宮」は
彼のものでしょうけど、
戦後の上の端の「元」は誰の追加でしょうか。
ともかく彼の書の、
伸びやかなスタイルに憧れています。
この本殿はさほど歴史を感じるものではありませんが、
境内に当然のようにある、
「お寺の鐘」が、明治以前の、
信仰の形を想像させることを容易にしています。
こちらの「紋」は十六葉の菊の中に、
八幡の三つ巴。
なかなか凝っていますな。
「国指定天然記念物」に登録されている、
「千本公孫樹」というイチョウです。
江戸の頃より「名所」とされていました。
これは源頼朝が馬を止め、
その蹄の跡が残るという伝説の石。
「源氏」にはこの手の話がなぜ多いのか。
これは幕末に奉納された、
武内宿禰や神功皇后が描かれた大絵馬です。
江戸からちょいと離れた、
こんな片田舎でも、幕末には、
こんな「神話」を中心に動きつつあったのです。