「五重塔」

日本経済新聞の記事

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)




幸田露伴の代表作「五重塔」をご存知でしょうか。




簡単にあらすじを書けば、
技量はあるものの風采のあがらない、
大工「のっそり」十兵衛が、
すべてかなぐりを捨てて、
谷中の感応寺の五重塔を建立するお話です。




この谷中の感応寺というのは、
文永十一年(1274)に、
日蓮の弟子の日源が建立したとされる、
「長耀山感応寺尊重院」と称する日蓮宗の寺院でした。
この五重塔が最初に建立されたのは正保二年(1645)のこと。
この後この寺は不受不施派の寺院として幕府から弾圧され、
日蓮宗から天台宗に改宗します。
最初の五重塔は明和九年(1772)の明暦の大火で焼失しますが、
寛政三年(1791)に再建。(←この再建が小説のモデルです。)
天保四年(1833)に現在の名の「護国山天王寺」に改称します。
明治になると五重塔のあった辺りは東京府のものとなり、
現在の谷中霊園として整備されます。
その後明治四十一年(1908)には、
五重塔自体も東京市に寄贈されますが、
昭和三十二年(1957)に放火心中事件で消失し現在に至ります。
谷中霊園の真ん中にある天王寺交番に横には、
ただひっそりとその礎石のみが残っているだけなんです。




江戸時代には、
浅草浅草寺、上野寛永寺池上本門寺(一説に芝増上寺とも)の、
塔と並び「江戸四塔」とも呼ばれていたといいます。




なんとその谷中の五重塔が、
今日の日本経済新聞夕刊・社会面によれば、
住民が基金を準備して、
再建計画が持ち上がっているとか。




楽しみです。再建。




あの霊園に、五重塔は、
とっても似合う風景となることでしょう。




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