290-0164 市原市奈良269-2
参考サイト http://www.ichihara-chb.ed.jp/board/culture/f/i_f_147_nara.htm
さて今年も、かみさんの第九の練習が始まりました。
これから年末まで、毎週日曜日は子守です。
さて今日はどこに行こう。
とりあえず、子供達には、
市原でゴーカートに乗り、
つりぼりで釣りをしようと誘ってみると、
喜んでほいほい着いて来ました。
しかし車はなぜか館山自動車道で、
市原ICへ向かわず、
外房有料道路で市原市内の内陸部に向かいます。
私は、千葉県市原市奈良にある、
「奈良の大仏」にお参りしたかったんです。
千葉にも奈良の大仏があるって知ってました?。
何にもない市原市東部の田園風景・・・。
ようやく県道沿いにこの北参道入口という看板を見つけたものの、
同じ農道を行ったり来たり・・・。
・・・まったくどこだか分かりません。
農作業をしているお爺ちゃんに聞いて、
やっとのことで、参道入口に辿り着きました。
草や枝をこすりながらやっと車が一台通行できる道幅です。
「奈良児童遊園」と名づけられたこの「奈良公園」には、
ひとっこひとりいませんし、当然、鹿もおりません。
遊具は錆で朽ち果てる寸前です。
いらっしゃいました、千葉の奈良の大仏です。
台座は3.3mと高いのですが、
その上に立っているお釈迦様は1.7mと私よりも小さなお姿。
案内板には「等身大の石造釈迦如来立像」とありますが、
「仏ヲタ」の私に言わせれば、それはちょいと違います。
何度か説明していますが、お釈迦様は「丈六」といって、
一丈六尺(約4.8m)だったといわれていますから、
それと同じで「等身大」といってよく、
それ以上でやっと「大仏」が名乗れる訳です。
かつて私は、未来永劫世界最小の大仏様は、
「鎌ヶ谷大仏」であると称しましたが、
こちらが地元の皆さんから、
「大仏さま」と愛されている以上、
訂正さぜるを得ませんね。
さてこちらの大仏さまのご由緒です。
伝説では、平将門が新皇を名乗り、
朝廷に反旗を翻した際、
この地に奈良を模した都を構え、
ここに最初の銅造の大仏を建立したとされています。
この台座の法界万霊の上の部分に、
承平元年(931)に建立され、
その後、再三の再建を繰り返し、
現在のものは文化元年(1804)に建立されたとありました。
あれ?、平将門の乱は天慶二年(939) のこと。
おいおい、ちょっと早くないっすか。
まったく関係ありませんが、
この大仏さま、渥美清さんに似てません!?。