海厳山 普光院 徳願寺

宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
272-0103 市川市本行徳5-22
公式サイト http://www.icnet.ne.jp/~tokuganji/



さて本題(?)。行徳に向かいます。
東西線妙典駅の方から旧江戸川の方向に向かうと、
なんとまあ、お寺、お寺、お寺ばかり。
寺町通りと名付けられているのも納得です。
行徳は昔から「行徳千軒寺百軒」と云われていたそうです。
徳願寺
その中でも大きなこちらが徳願寺さん。
元々は勝願寺の末寺の草庵の一つだったそうですが、
徳川家康の帰依で堂宇を建立し、
「徳」の字をもらいこの名になったとか。
永代橋溺死者供養塔   
門前には大きな石のお地蔵さんと、
その右隣にこの永代橋溺死者供養の碑がありました。
なんでも文化四年(1807)に永代橋が突然落っこちちゃって、
多くの溺死者が出たそうなんです。
そんな悲劇知らなかったなぁ。
不許葷酒入門内   
うげげぇ、入口左には、
お馴染の「不許葷酒入門内」の碑が・・・。
臭い野菜を食ったものや、酒を飲んだものは、
不浄なんだからこの門内には入っちゃダメというやつなのです。



すみません、二郎で、私ニンニク、プンプン。
なるべく口を開きませんから見逃してください。



鐘楼と本堂        
立派な鐘楼と本堂です。
本堂のご本尊は北条政子の依頼で、
運慶が造ったとされる阿弥陀如来だそうです。
本当は立派な山門もあるそうなんですが、
ちょうど改修工事中で、足場に囲まれていました。
鐘楼と同じく、安永四年(1775)に建立されたもので、
安置されている仁王さまは、
廃仏毀釈で廃寺となった、
葛飾八幡宮別当寺、法漸寺から移されたものなんだそうです。
お会い出来なくて残念でした。




→ 【他の神社】葛飾八幡宮



     
宮本武蔵供養石地蔵 
さてこれが今日、
このお寺に訪れたお目当てのお地蔵様。
宮本武蔵は、巌流島の決闘の後、
剃髪して、諸国を廻り、
この寺に長く逗留していたとか。
その宮本武蔵の遺品を納めたものが、
この「宮本武蔵供養地蔵」なんだそうです。
五輪等型の石碑        
お地蔵様の右隣には、
造られて間もないと思われる、
この五輪塔の型の石碑です。
この石碑には、
「新免宮本武蔵藤原玄信二天道楽大徳菩提」
と、ありました。
確かに宮本武蔵は「五輪書」では、
「藤原玄信」を名乗っていましたね。
地蔵台の側面        
お地蔵様の台座の左側面には、
「こちらの武蔵さん伝説」の命日が彫られています。
「正徳二年七月廿四日」って、西暦1712年じゃん。
関が原にも雑兵として出た武蔵ですから、
おそらく一番信じられる生まれた年で、
天正二年(1584)だとすると、




・・・・・享年128歳だわさっ。




ともかくこちらには寺宝として、
宮本武蔵筆とされる絵が残っているそうです。
こちらの市川市の公式サイトをご覧ください。




→ http://www.city.ichikawa.chiba.jp/bunka/kaiyu/gyotoku/tokuganji.htm




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