江戸時代の永代橋崩落事故

昨日、徳願寺の「永代橋溺死者供養の碑」を見て、
「そんな悲劇知らなかったなぁ。」と言っていた私ですが、
ふと富岡八幡宮の記事を書いた時の取材メモを見返してみて、
あっ、と、思い出しました。
なんと私は二年前その事故について調べていたのです。
でも当時は、記事が長くなることを嫌い、
結局、カットしちゃったんだっけ・・・。




今年8月1日の米国ミネソタ州の落橋事故も、
記憶に新しいところではありますが、
史上最悪の落橋事故というのは、
今からちょうど200年前の江戸時代の日本、
江戸は深川、永代橋で起きていたのです。




享保年間、
幕府は財政が困難であることを理由に、
永代橋を廃橋とすることと決定しますが、
地元住人の嘆願により、
維持費を町方が負担することを条件に、
橋の存続が許されたそうです。
町方は、橋詰に市場を開いたり、
通行料金を徴収したりして、
維持に努めたそうですが、
所詮はボロくなった橋を、
ちょいと補修する程度だったのでしょう。
文化四年(1807)、
富岡八幡宮の祭礼に押し寄せた、
群集の重みに耐え切れず、ついに崩落。
次から次へと群集が押し流され、
溺死者は1500人を超えたといわれています。




さて、このブログでもおなじみの、

恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、
志やれの内のお祖師様、うそを築地の御門跡

で、有名な、大田南畝(蜀山人)は、
この事故を、こう狂歌にしています。


永代と 架けたる橋は 落ちにけり 

        今日は祭礼 明日は葬礼



現代では、
「不謹慎極まりない」と、怒られてしまう歌だよなぁ〜。




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