275-0006 習志野市泉町1-2-1
公式サイト → 桜泉祭
さて、この週末は、
我が家の近くにある大学の一つ、
日本大学生産工学部の津田沼キャンパスで、
「桜泉祭」と名付けられた大学祭が行われています。
何度か書いていますが、
この地には、習志野騎兵旅団があり、
ここにはかつて騎兵第十四連隊があって、
騎兵解隊後には、戦車第二連隊が置かれました。
いくつか碑が残っていると聞きました。
大学祭であれば自由に見学出来ることでしょう。
子供達と行って見ました。
キャンパス内を自力で探して見ましたが、
すぐにはどこなのか分かりません。
大学祭実行委員のスタッフジャンパーを着たあんちゃんに、
「すみません、騎兵や戦車連隊の碑はどこでしょうか。」
と、聞いてみました。
あ「え?、キヘイ?、センシャっすか??」
(・・・彼の脳裏→「喜平?」「洗車?」←私の想像・・・。)
私「そう、陸軍、軍隊の騎兵、戦車です。」
あ「あ、軍隊の!、知らないっすね。ちっと待って下さい。」
トランシーバーで実行委員会本部に問いかけるあんちゃん。
あ「あ、戦争の碑とかって、どこにあんのか知ってます?。」
・・・実行委員会本部も誰も知らない様子です。
仕方がないので、自力で探しますよ。
キャンパス内を外周で大きく一回り。
一周して正門の近くに戻るすぐ近く、
実行委員会本部のすぐ横に、
この碑の「群れ」はありました(汗)。
興味のないものというのは、
目に映らないものですが、
ここまで学生に存在が映らないとは・・・。
・・・驚きました。
さて中央にあるのは、
この「騎兵第十四聯隊発祥之地」です。
昭和六十一年(1986)に建立された新しい碑です。
揮毫は元の竹田宮様、竹田恒徳さん。
恒徳王は第十四連隊の第三中隊長を務めたことがあります。
一番左にあるのは、
「勅諭拝受五十周年記念碑」とあります。
「為 聖諭拝戴五十周年 並 御紋章掲揚記念」で、
昭和七年(1932)に置かれたものです。
その二つの碑の間にあるのが、
この発掘されたものと、復元されたものが二つ並ぶ、
「騎兵第十四聯隊」碑。
左の小さな碑が、昭和八年(1933)に建立されたものの、
不明となり、昭和四十三年(1968)に発掘された本来の碑です。
右はそれを昭和六十二年(1987)に復元したもののようです。
この馬のオブジェは、
つい最近の平成五年(1993)に置かれたものです。
どうゆう由縁か、明治天皇御製の歌碑もあります。
人ならば ほまれのしるし 授けまし 軍のにはに たちし 荒駒
明治の習志野の騎兵を詠ったもののようです。
騎兵が時代遅れとなり、
解隊後に、ここに戦車第二連隊が置かれます。
一番右手にこの「戦車第二聯隊跡碑」がありますが、
歴史も短く、その人々の「想い」も少ないのか、
どうしても碑までも存在感が薄く思われます。
日大と隣の東邦大学を隔てる塀の向こう側に、
同じような「騎兵第十三連隊」の記念碑群が見えますが、
そちらはまた来週の東邦大学の大学祭の時にレポートします。
公式サイト → 東邦祭
しかし、最近の大学祭というのは学内「禁酒」なんですってね。
私らの頃の学祭といえば、酔っ払ってハジけちゃって、
何だかよく判らないテンションで盛り上がったものですが、
静かでお行儀の良い学祭というのも、
なんだか居心地が悪いもの。
でも理工系の大学は、
科学実験なんかがあって面白いですよね。