274-8510 船橋市三山2-2-1
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→ 【他の巡礼】騎兵第十四連隊跡・戦車第二連隊跡
→ 【他の巡礼】東邦大学 津田沼キャンパス その一
さて我が家は二日連続で東邦大学にやって来ました。
今日のかみさんのお目当ては、
ノーベル物理学賞を受賞した、
小柴昌俊さんの講演会ですが、
私のお目当ては、まったく人気(ひとけ)のない、
体育館の裏にあります。
日大生産工学部内にあった、
騎兵第十四連隊跡と戦車第二連隊跡の記念碑群と、
ちょうど壁を挟んで隣り合います。
しかしあちらは習志野市でこちらは船橋市。
一番大きく立派な碑は、
平成五年(1993)に建立されたもの。
揮毫は当時の大橋和夫・船橋市市長という、
まったく面白みに欠けるもの・・・。(←失礼。)
騎兵十四連隊にあった昭和八年(1933)に建てられた碑と、
そっくりな古い「騎兵第十三聯隊跡」という碑は、
半分植え込みの木の葉が被っておりました。
江戸後期の墓にもよくみられる堆積岩のような石質なので、
刻まれた字は削れて薄れかけていました。
政治家に揮毫頼んで新しい碑を建てている場合じゃないよ。
こっち、ちゃんと保存しましょうよ。
「坂の上の雲」で、主人公の一人、秋山好古を通して、
習志野の騎兵、そして近代日本の夜明けを描いた、司馬遼太郎。
彼が亡くなった平成八年(1996)に、
騎兵第十三連隊会有志一同により建てられた文学碑です。
司馬自筆の文字で、こう刻まれています。
「かつて存在せしものは
時代の価値観をこえて保存し、
記念すべきものである。
それが 文明というものである」
まったくだよねぇ。司馬先生。
おっしゃる通り。
それが例え「負の遺産」でも、
保存出来るものは、保存するべきだねぇ。うん。
隣にもありましたが、
こちらの五面形の塔も、
「勅諭拝受五十周年」を記念碑して、
昭和七年(1932)に建立されたものです。
こういう塔をなんと呼ぶのか知りませんが、
私が今までみたこれと同型の塔の多くは、
皇紀二千六百年を記念したもので、
「八紘一宇」と記されていたような記憶があります。
しかしこの塔には、左周りで、軍人勅諭の、
「武勇」「質素」「忠節」「禮儀」「信義」と、
陸軍大将・南次郎の揮毫で、刻まれています。
でも南大将はあんまり騎兵と関係ないじゃん(笑)。
記念碑群の左手にある東邦大学の柔空手道場です。
これ、かなり修繕していますが、
明らかに陸軍時代の建築物ですよ。
私が子供の頃にはまだこんな軍の遺物がたくさんありましたっけ。