「国の宝」について


お隣の韓国では、
「国宝第一号」の南大門が、
放火により焼失してしまったそうですね。
六百年前建てられた建造物が、
一人の心無い放火犯に燃やされてしまったということは、
韓国国民ならずとも、人類の文明の遺産が、
また一つ地上から消え去ったということであり、
とっても悲しい気持ちになります。




さて、しかしそもそも「国の宝」って、
いったいなんでしょう。




伝教大師最澄は、
「宝とは道心なり」とし、
「道心あるの人」を、
「国宝」であると説きました。



国宝何物     国宝とは何物ぞ。 
宝道心也     宝とは道心なり。
有道心人     道心あるの人を、
名為国宝     名づけて国宝となす。
故古人言     故に古人言く、
径寸十枚     径寸十枚、
非是国宝     これ国宝に非ず。
照千一隅     一隅を照らす。
此則国宝     これ即ち国宝なり。


しかし皮肉なことに、
これを説いた直筆の書、
天台法華宗年分縁起」(山家学生式)
そのものが「国宝」に指定されております。



さてここでいう「国宝」とは、
文化財保護法によって指定された有形文化財のうちで、
特に重要として文部科学大臣が指定したものを、
「国指定重要文化財」とし、
さらに、特に文化史的価値の高いものが、
「国宝」と指定されています。
この基準は一度変更されたので、
「国宝」であったものの一部が、
「重文」になったものもありますが、
話が複雑になるのでここでは説明を避けます。
ともかく文科大臣が指定した「国の宝」が、
「重文」「国宝」とされているんです。




では指定されているから「国の宝」であり、
指定されていないものは「たいしたもんじゃない」といった、
単純な区切りが付くかと言えば、そうではなく、
これに指定されてしまうと、
保存の為に様々な「制限」「制約」を受けるものですから、
指定を受ける価値を充分満たしていながらも、
どうにかその登録を避けようとする「動き」も多くあるのです。




サンケイエクスプレスより   




今日発売のサンケイエクスプレスの19面にはこんな記事。




→ http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080212/acd0802121133001-n1.htm




「国外持ち出し」という「所有者の意思」で、
文化財保護法の「重文」「国宝」の指定を受けていない、
運慶作とみられる「個人蔵」の木造大日如来坐像が、
3月18日にニューヨークで開かれる、
オークションに出品されてしまうそうです。




落札見込み価格は150〜200万ドル以上になるとか・・・。




要するに、国も所有者から買い取ろうと交渉したものの、
金額面で折り合いがつかなかったというのが真相のようです。




なんとも浅ましい話じゃないですか。
運慶さんも、当の大日様も、
「なんだかなぁ〜。」と、
お嘆きのことと思います・・・。




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