「先の戦争」と「せいぐん」について


今日は栴檀さんの会社の、
歌舞伎(仮名)さんと二人で飲みました。
昨日、神楽坂の梅田さんで飲み
いかにも歌舞伎さん好みであると思ったので、
今日の夕方に思いつき、
「いいお店があるから」と、誘ってみて、
二日連続で伺った次第でございます。




歌舞伎さんは、会津出身。
去年六十歳になった団塊の世代の代表格。
かなりの歴史好きでもあるので、
ちょいと酒が入れば二人、
歴史談議に華が咲きます。




現在、第二次彰義隊マイブームが到来している私です。
未だに、「先の戦争」といえば、
第二次世界大戦」「太平洋戦争」「大東亜戦争」ではなく、
日清戦争」「日露戦争」ですらなく、
戊辰戦争」や「西南戦争」を指す人々がいることは、
知識の上で知ってはおりました・・・。
・・・ただ、実際にはそんな方々とお話したことは、
未だかつてありません。




ただ、かみさんの両親の出身地は、
二人とも鹿児島県なので、
夫婦で会津に旅行をした折には、
かなり肩身の狭い思いをしたと、
聞き及んではいた・・・。
・・・程度なんです。




そんな歌舞伎さんとの会話です。
歌舞伎さん、幼少時、
実家の隣に大きなお寺があったものの、
お父さんはそこと折り合いが悪いのか、
ほとんど交流がなかったそうです。
盆暮れや春秋の彼岸には、
あきらかに遠くから訪れた人々が、
その寺にある大きくて立派な墓地に参拝していたとか。
物心がつくにすれ、
分かったのは、その遠くからの参拝者は、
「せいぐん」の墓へのお参りであったようなのです。




ほぇ、歌舞伎さん、「せいぐん」ですか。
「正軍」(?)、変な表現だねぇ〜。




「あぁ、歌舞伎さん、それ官軍の墓ですか。」




その後、この話は一時間以上に及び、
まったく違う話題となって、
さて、会計も済ませ、
そろそろ帰ろうかという頃になり、
普段温厚な歌舞伎さん、
強い口調でこう言いました。




「最後にどうしても言っておきますが、
さっきのお墓の話は、官軍ではなくて、せいぐんのものですよ・・・。」



あっ、西軍(せいぐん)か。
なるほど・・・。
・・・確かに以前、
大学での待ち合わせで、
「正門」と「西門」を間違えて、
大騒ぎになったことがありましたが、
未だ、歌舞伎さんにとっては、
薩長はけして「官軍」ではなく、
関ヶ原の如く「西軍」なんです。




「明治は遠くなりにけり。」なんて、言いますが、
人の恨みのあるところ、
案外、そんなに遠くないのかもしれません。




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