祭神 宇迦之御魂大神
100-0006 千代田区有楽町1-7-1有楽町電気ビル
何年も日比谷に勤め、
何年も有楽町駅で乗降し、
何年も有楽町電気ビルの前を通っていたのに、
何年も私はずっと、
この有楽町電気ビルの敷地に建つ、
「有楽稲荷神社」という社は、
大家の三菱地所さんあたりが、
そのテナントの商売繁盛の為に、
商業的に勧請した「お稲荷さん」だと思ってました。
銀座出世地蔵尊にお参りしてみて、
ひょっとするとこちらも、
歴史があるのかな、なんて、
実は初めてお参りしてみれば、
そっと鳥居の左手に、
とっても目立たない「由緒案内」がありました。
それによるとこちらは、
安政六年(1859)に、
永井飛騨守によって創立と書いてあります。
都心に残る多くの神社と同様、
こちらも大名屋敷内に建てられた神社のようです。
古地図をみると確かに「永井飛騨守」とありました。
ちょっと調べてみると幕末のこの時期の、
「永井飛騨守」は、
高槻藩十一代藩主、永井直輝さんだったようです。
神社が建てられた安政六年といえば、
安政の大地震の四年後です。
このお殿様、
高槻藩の財政を立て直そうと、
頑張ったようですが、
その地震だの、ここの江戸藩邸の焼失だの、
お膝元の大風雨だのと、
不幸がたて続き失敗に終わったとか・・・。
そんな不運を払おうと、
この神社を祀ったようですが、
結局、この神社を建てた二年後に、
養子の永井直矢に家督を譲って隠居しました。
さてその「由緒案内」によれば、
こちらは明治維新後は、一旦、
わずかに形跡を止めたばかりとなりますが、
明治四十一年(1908)、ここに、
東京市電気局有楽町変電所が設けられたとき
同時に祠堂も改修して、
町内氏子に祀られました。
関東大震災には、
周囲はほとんど焼けてしまったのですが、
こちらは幸い延焼を免れます。
昭和四十八年(1973)、
この有楽町電気ビル建築に伴い、
赤坂山王日枝神社内に遷座しますが、
再び昭和五十四年(1979)にこちらに復座したのが、
現在のこちらの祠堂なんだって。
なんともまぁ意外なことに、
見かけによらない深い歴史を持った、
由緒あるお稲荷さんだったのです。