航空神社

祭神 航空殉職者及び航空功労者 六千三百六十七柱
105-0004 港区新橋1-18-1 航空会館屋上




→ 羽田航空神社




昨日の下調べによれば、
羽田航空神社」は、
新橋の航空会館屋上にある「航空神社」の分霊のようです。




航空会館   




航空会館は、会社のすぐ近くなので、
午後の外出の前に立ち寄ってみました。




航空神社   




ビルの九階屋上にひっそりと、
この小さな神社はありました。




そもそもは、こちら、
昭和六年(1931)、帝国飛行協会理事会が、
明治神宮造営の残木を拝受して、
帝国飛行協会飛行館というビルの屋上に建てられました。
戦争末期からずっと中断されていた神社祭ですが、
戦後、昭和二十八年(1953)、日本航空協会発足とともに、
神社祭も復活。




昭和三十八年(1963)には、
羽田空港羽田航空神社を分霊します。




昭和四十九年(1974)、靖国神社境内社
鎮霊社に仮奉安遷座する際、
航空殉職者にあわせ、航空功労者も合祀され、
霊爾簿総数六千三百六十七柱となり、
昭和五十七年(1982)以降は、
祭神慰霊の神社から、
航空平安祈願の神社へと変換いたしました。




そして、昭和五十八年(1983)、
この航空会館屋上に、
写真の新社殿が落成。
現在に至るという訳です。



最近、航空機関連であまりいいニュースを聞きません。



ともかく、二度と不幸な事故のないように、
ご祭神、六千三百六十七柱に、
深々と二拝二拍一拝して、
航空神社を後にしました。



あ、そうそう。
ここでその「霊爾簿」は確かめられませんでしたが、
こちらに関わる方々も、
おそらくここのご祭神なのでしょう。



→ 山縣飛行士殉空之地碑





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