習志野の森
275-0006 習志野市泉町3-10
公式サイト http://www.geocities.jp/narashinonomori/
そもそもは去年の6月に、今日と同様の、
年に四度の「習志野の森」解放日に伺いました。
これがこのシリーズの「その一」であって、
陸軍習志野学校跡地の真ん中に、
皇紀二千六百年の、
昭和十五年(1940)に建てられた「動物慰霊之碑」が現存し、
揮毫者の名前が削り取られていたことを紹介しました。
その二、 その三で、
自分なりの取材を重ね、
削り取られていた名前が、
「陸軍少将西原貫治」であると断定しました。
その四では、戦中・戦後の西原貫治中将を追って調べました。
→ 西原貫治 - Wikipedia
今でこそ、Wikipediaにこの記事がありますが、
当時はまだなく、習志野市内の図書館や、
日比谷図書館のデータベースを利用し、
その後を調べ、天寿を全うしたことを知り、一人安心しました。
その五では葬儀の行われた新宿の太宗寺にお参りしました。
そんな記事を書いたことも忘れかけていた今年の8月。
その二、 その三のコメント欄に、
こんなコメントを頂戴しました。
貫治の孫 2008/08/20 16:55
祖父を調べていて、ブログを拝見しました。消された石碑の文字を解読したところからスタート、よくぞ祖父の事を調べられたと感心しております。太宗寺までいらしたとか。その行動力に感服いたしました。ちなみに祖父の墓は太宗寺にはありません。
わたしの知っている祖父は、威厳があって静かでやさしい老人でした。戦後は祖母と二人、静かに暮らしていました。一切戦争について語らず、亡くなってから何で本人が語りたがらずとももう少し聞いておけばよかったと思った事は一度や二度ではありません。でも聞いてもやはり語らなかったでしょう。そういう人でした。習志野には一度行ってみようと思っています。思いがけない「出会い」に感謝しています。
うれしくって、私はこう返信しています。
makoto-jin-rei 2008/08/20 18:18
お孫様、ようこそおいでくださいました。
私もこの「出会い」を、
とてもうれしく思っております。
ありがとうございます。そうですか。やはり西原貫治さんは、
私の想像通りの方だったようですね。
そんな貫治さんの戦後の平穏を守ろうとした、
どなたかが善意で名前を削ったことなのでしょう。
するとまたこんなコメントを頂戴しました。
貫治の孫 2008/08/22 12:06
お返事ありがとうございます。昨日、久しぶりに実家に行ったので、1〜3のブログを全部コピーして持っていきました。(父は喪主・同名とか・既に85歳、極めて元気)父も母も不思議なご縁に驚き、感心しておりました。おかげで話題は祖父の事が中心となり、古い写真など引っ張り出してしばし3人で思い出話に花が咲きました。子供の頃からおじいチャンは偉い軍人さんだったと聞かされて育ちましたが、孫達には、軍服姿ではなく、散歩にはベレー帽を愛用し、毎朝自らコーヒー豆をゆっくり挽いていた姿が「おじいちゃん」でした。わたしは茨城県におりますので、習志野に行くときはまたこの場で一報させていただきます。
これにはまた大感激。
ブログをやっていて良かったという想いで、
またこう返信しました。
makoto-jin-rei 2008/08/23 05:52
お孫様、ありがとうございます。
これぞブログ「冥利に尽きる」という幸せです。
本当にうれしく思います。
是非習志野においでください。
お待ちしております。
そんな訳で今日の解放日に「貫治の孫」様と、
お会い出来ることを楽しみにしていたのですが、
急遽、お義父様を病院にお連れするそうで、
残念ながら延期になってしまいました。
習志野みどりの会の代表さんにも、
お知らせしていたので、
とりあえず、私一人だけでも行って、
事情を説明せねばなりません。
ラーメン二郎の帰りに直接行ってみました。
あいにくの小雨です。
しかしイベントは予定通り決行されています。
習志野みどりの会の代表さんに初めてのご挨拶。
この緑を次の世代に残してあげたいという想いが伝わりました。
前回はまだ写真がショボかったので、
今回はいっぱい写真を撮って載せておきます。
「貫治の孫」様、
バーチャル訪問の代わりになりますでしょうか。
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