宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)
175-0092 文京区小石川2-23-14
公式サイト http://www.genkakuji.or.jp/
今日も無償の早出の木曜日。
早朝7時の日比谷の街は、
制服・私服警官があちらこちらと、
数メートルおきに立ち、うろうろ。
緊迫したムードの異様な雰囲気。
これはスペイン国王が来日中とはいえ、
いつもの国賓の「警戒度」のレベルではありません。
出社した私は、
あっちに行って説明してくれ、
そっちに行って謝ってくれ、
こっちに戻って司会をしてくれと、
ひっぱりダコの大忙し。
すっかり朝の異様な雰囲気のことなんて忘れていました。
さてお昼前、他の事業所の先輩と待ち合わせ、
合同で対応している得意先に向かおうと、
日比谷通りの待ち合わせ場所に行ってみると、
いつもは車が喧騒と走る日比谷通りが閑散としています。
完全通行止めにして警備するような状況です。
このような警備体制は、日本では、
この車に対してのみでありましょう。
ナンバープレートのないこの車です。
この御料車にお乗りになられた両陛下を拝したのは、
これが初めてではありませんが、
普通日本では多く上座になる、
助手席の後ろには皇后陛下がお乗りになっているんですね。
まあ、雛人形も向かって左がお内裏様ですもんねぇ・・・。
さて、前ふり?が長くなりましたが、
午後はタヤパンと、最近発注を頂いた、
文京区の大きなお寺に伺いました。
このお寺をそのまま記事にする訳にも行きません。
北千住に住んでいて、神楽坂にある事業所にいた頃には、
よく自家用車で通勤していたのですが、
その頃から、この近くにあるとあるお寺に、
いつかお参りしたいと思っていたことを思い出しました。
通称のユーモラスな「こんにゃくえんま」さんこと、
東京ドームの裏手にひっそりと佇む、
浄土宗の常光山源覚寺さんです。
参道正面に建つのは本堂ではなく、
主役(本尊)をくった形の閻魔堂。
平成十五年(2003)に建てられた真新しいお堂ですが、
この中に鎮座するおえんま様は、
風格の高い鎌倉時代の木造閻魔大王坐像です。
これは札所にあったメトロカードのチラシですが、
こちらの閻魔様はよく見ると右眼が黄色く濁り割れています。
これにはまたも日本昔話。
昔々の宝暦年間(1751〜1764)の頃のことじゃ。
一人の婆さまがのぅ、眼病を患ってのぅ、
この閻魔さんに日々お祈りしておったらのぅ、
婆さまの夢の中に閻魔大王が現れてのぅ、
「私の片方の眼をあげて治してあげよう」と告げたんじゃと。
すると婆さまの眼はたちまちに治ってしまってのぅ、
代わりに閻魔さまの右目は割れて黄色く濁りなさったそうじゃ。
婆さまは感謝の印として、大好きだったこんにゃくを断って、
ずっとこの閻魔さまにおそなえし続けたんじゃと。
それ以来、今もこの閻魔大王さまは、
「こんにゃくえんま」として人々から信仰を集めておるんじゃ。
今もこのようにこんにゃくがお供えされています。
老婆の好物が違っていたら、
この閻魔様は違う名になっていたことでしょう。
くさやとか、納豆じゃなくて、
本当に良かったねぇ。(笑)
他にもこの小さな境内には、
この地にこの寺が建立される前からあったと伝わる「塩地蔵」や、
サイパンから帰国した「凡太平洋の鐘」、
そして新しいものではありますが、
なかなか威風堂々とした、
「小石川七福神」の一つである毘沙門天が祀られています。
「塩地蔵」や、「戦後帰ってきた鐘」の話は、
過去に取り上げたこのお寺にも似た話がありました。
さて、せっかく近くに来たのだから、
セールスにかこつけて、
我が母校を訪れてみました。
恩師の研究室に行ってみるも残念ながら留守でしたが、
総務課さんに向かう途中、
「須藤元気がレスリング部の監督になったんだよねぇ。」
なんて、タヤパンと話していたら、
なんとスーツ姿の当のご本人とすれ違いました。
さすがにこれにはびっくり。
でも思ったより須藤元気さんは小柄な方でしたよ。
なんだか喧嘩しても勝てそうな感じ・・・!?。
・・・冗談です。(汗)
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