元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住東京勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン二郎(京成大久保店がホーム)・蕎麦が大好物。

妙雲山 飯高寺 (飯高檀林跡) 〜立正大学発祥之地〜

総門下の石段

国指定重要文化財(総門・講堂・鐘楼・鼓楼)
千葉県指定史跡(境内全域)
宗派 日蓮宗
本尊 ?
289-2173 匝瑳市飯高1789




久しぶりの九十九里
一泊、二日目の今日は早朝から雨・・・。
特にやることもないので、
朝風呂と、飲んで・食っちゃ・寝・を繰り返す、夢の生活♪。
先ほど家に帰り、体重を計ると、なんと、
こんなことに・・・。









72.6kgだって(驚)・・・、
72kg代は、10月以来だねぇ・・・。
しばらくは節制しないとダメだねこりゃ。




さてそんな訳で、今日の記事は、
このブログの原則にしている、
(×)「今年の汚れ、今年のうちに。」
(〇)「今日の出来事は、今日の記事に。」
・・・に反しますが、昨日お参りした飯高檀林です。
なぜか「日蓮宗寺院」三連発ですね。




何をもって現在の「大学」と同等とするか、
これ、どこに基準を設けるかにより、
様々な諸説に分かれますので、
一概に断定することは出来ませんが、
こちらを「日本最古の大学の一つ」と唱えることは、
あまり異論は多くないはず。




こちらの飯高寺(はんこうじ)、
飯高檀林(いいたかだんりん)は、
戦国時代の天正八年(1560)に開設された、
日蓮宗の最古・最高位の学問所です。
「檀林」という呼称は、
仏教寺院における僧侶の養成機関で、
仏教宗派の学問所の最高位にあります。
つまり現代で言う、
「最高学府」の「大学」に近いものなのです。
駒沢大学」も曹洞宗の「栴檀林」として有名ですよね。




立正大学発祥之地の碑




明治五年(1872)の「学制」発布によって
明治七年(1874)に廃檀となって、
飯高檀林は、二百九十四年間の歴史を閉じますが、
その系統は日蓮宗大学に受け継がれ、
現在の立正大学へと至ります。
そんな訳で境内には、
この「立正大学発祥之地」碑が建っています。




余談でありますが、
会社の一年後輩で同い年の、
「明治の有名な弁士の孫」のベア岡は、
この立正大学の卒業ですが、
なんと彼は五年も大学に通っていたのに、(笑)
数年前に私に聞くまで、
立正大師日蓮聖人」であることを知りませんでした・・・。(汗)




総門




紅葉の綺麗な石段を登るといきなり、
天明二年(1782)の建造の、
腕木門形式の「総門」です。
大きな檀林であった割に意外に質素な表門ですが、
国指定の重要文化財に指定されています。




境内の杉の大樹




境内には、幹周りが何メートルもある、
杉の大樹が群生しています。
ここは、飯高城跡でもあるようで、
参道の中央には、道の狭まった左右に、
空堀が現存しています。




一切経蔵




「総門」をくぐり、参道を進み、
空堀を越えると、左手にこの「一切経蔵」。
つまりお経の倉なのです。
「総門」と同じ天明二2年(1782)の建造ですが、
なんと昭和二十四年(1949)頃に、
モルタルの塗装をされてしまっているからか、
特に文化財に指定されておりません。




題目堂




その先の右側にあるこの「題目堂」も、
かなり年季が入ったものに見えますが、
十八世紀頃の建立と推定されているだけで、
やはり文化財には指定されておりません。
なんでも、この檀林の「階位」(?)の段階には、
「四教儀部」→「集解部」というものがあって、
これに上級する為には、
「新談義」という試験に合格しなければいけなかったとか。
ここはその合格祈願の場所だったそうです。





講堂(正面)




さて、参道正面に、
通常のお寺の本堂や金堂に当たる、
この巨大な「講堂」が堂々と建ち聳えています。
いやーっ、でっけぇーなこりゃ。
すげぇ大迫力。




講堂(右側から)



慶安四年(1651)建立の、
大迫力の巨大な平屋(?)の木造建造物です。
「木造寄棟造」の一種ですが、
他に似た形式のものを見たことがありません。
千葉県内最大の国指定重要文化財の建築物です。




講堂の中



堂内を覗き見てみましたが、
暗くて奥まで見えません。
通常のお寺の「檀」がある手前には、
木枠の扉のようなものが閉じられていました。



鼓楼



「講堂」に向かって左側にあるのは、
やはり重文ですが、享保五年(1720)建立の「鼓楼」です。
ここで太鼓を打ち鳴らし、
学僧を呼集したという、
現代でいうところの学校のチャイムです。




鐘楼




その反対側、「講堂」の向かって右側は、
やはり重文の寛文年間(1661〜1673)再建の鐘楼です。
梵鐘そのものは寛永十六年(1639)の寄進で、
「江戸神田鍛冶町二丁目鋳物師山田和泉掾吉貞」鋳造と刻まれています。
ん?、この鋳物師は、どこかで聞いたぞ・・・。
う〜ん、ちゃんと記事に書いておかないと、
後で検索出来ないねぇ。・・・反省。




裏参道



「講堂」の真裏につながる裏参道にも、
やはり杉の大樹が聳えています。



室?



寺域から出た、裏山の崖に、
人工的に掘られたかと思われる、
「洞穴」が二つありました。



室の中



中を除き見ると、
幾重にも分岐していて、
かなり広い空間があるようです。
戦時中に作られた「防空壕」なのか、
食料を貯蔵する「室」なのか、
それとも僧が修行した「窟」なのか、
結局まったくもって、不明です。



紅葉散った紅葉




比較的、暖かなこの千葉も、
ようやく紅葉の美しい季節となりました。




にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← 二つのブログランキングに参加しております。
人気ブログランキングへ ← よろしかったら応援クリックをお願い致します。