十二社 熊野神社 〜十二社の碑〜

熊野神社パンフレット

祭神 櫛御気野大神(素戔嗚大神)・伊耶那美大
160-0023 新宿区西新宿2-11-2
公式サイト http://homepage3.nifty.com/12so-kumanojinja/




車の争奪戦に破れ、電車と徒歩での営業活動・・・。
今日、どうしても行かねばならない得意先は、
初台駅前と和光市の研究所です。
先日の「第?次 新宿鮫マイブーム」。
風化水脈 新宿鮫VIII (光文社文庫)
その時に読み直した、
この作品の中に登場するキーマンが、
新宿の郷土史を研究していた設定から、
十二社(じゅうにそう)の歴史を学び直しました。
今日のこの機会に是非、
今まで、車で前を通り過ぎているだけだった、
この熊野神社にお参りしたい。
あえて京王線に乗り換えずに、
西新宿駅で降りて、ちょいとお散歩してみました。




諸説はありますが、
こちらはそもそも、
応永年間(1394〜1428)、
紀州出身商人の鈴木九郎によって創建されたとも伝えられます。
故郷の熊野三山の十二所権現をすべて祀ったことから、
十二社と名付けられ、
境内には大きな滝と、大小の二つの池があり、
江戸時代には「十二所権現社」と称されていました。
当時この付近には茶屋や料亭などが立ち並び、
景勝地として栄えましたが、
明治になり、「熊野神社」と名を変えた頃から、
淀橋浄水場の造成によって、名勝の滝や池が消え、
現代の味気のない高層ビル街にと変貌致しました。




一之鳥居




そんな訳で、現代では、この神社は、
新宿中央公園の隅っこの一部になりました。




十二社の碑




この一之鳥居をくぐり、
すぐ左手にこの嘉永四年(1851)に建てられた、
「十二社の碑」が現存します。
新宿区指定史跡にも指定されたこの碑は、
『江戸繁盛記』を著した儒学者の寺門静軒と、
中野宝仙寺の僧侶、負笈道人によって、
この景勝地・十二社の様子を紹介しており、
負笈道人の撰の碑文と、
寺門静軒の漢詩が、
中川憲齋の書により刻まれています。




本殿
神楽殿




この本殿や神楽殿も、
都会の喧騒の中にあって、
なかなかよい佇まいですが、
特に文化財としての指定がないことからすると、
あまり歴史のある建築物でないようです。



弁天池?と滝?



十二社の池や、十二社の滝を
開発の名の元に抹消してしまったことの罪滅ぼしか。
本殿左手には、弁天池と思われる池の奥に、
滝を模したのか、
まるで噴水のような施設があります。




大田南畝(蜀山人)水鉢




この池と本殿の脇を進むと、
本殿の右側の囲いの中に、
文政三年(1820)に奉納された
この大田南畝蜀山人)水鉢があります。
このおっさんは本当にこういった観光地が大好きです。




末社大鳥三社狛犬




その先には、境内末社大鳥神社と稲荷神社がありますが、
この大鳥神社狛犬は、
腹の下の前足部分がくりぬかれていません。
・・・って、これは単なる手抜きじゃん。
それとも値切った結果かも・・・。(笑)




延命陀羅尼二千一百万遍読誦碑




稲荷神社の向かいにある「延命陀羅尼二千一百万遍読誦碑」。
名前の通り、元治元年(1864)に、
「延命陀羅尼経」を21,000,000回唱えたことの記念碑で、
神仏習合の時代を物語る貴重な資料ということですが、
この「延命陀羅尼経」って一回唱えるのにどれだけかかるのだろう。




たとえばこれ、一回10秒とすると、
21,000,000回唱えるには、
休まず唱えて、210,000,000秒。
つまり、3,500,000分、58,334時間、2,430日、6.659年。
寝ずに休まず唱える訳にも行きませんので、
現代の基準である週40時間で算定すると、
1,458.35週ですから、とりあえず年間50週だとしても、
約30年ということになります・・・・。(驚)




すげぇ〜な、そりゃ。
そりゃ、「延命」というよりも、
「長生きしますよ。」と、言いたくなります。(笑)




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