池證山 正覺院 鴨鴛寺 【吉橋大師第七十三番】

宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来
276-0028 八千代市村上1530-1




さて、八千代市立郷土博物館で下調べを済ませ、
車を博物館に停めたまま、
すぐ近くのこの正覚院さんに徒歩で伺いました。




正覚院参道入口



参道入口にはこんな大きな石標です。
こりゃ、結構大きなお寺なのでは・・・。
期待は膨らみます。



正覚院



神社仏閣巡りを趣味としていると、
「あっ、この手か。」
と、いう匂いを感じることが多々あります。
御目出度いものの、オンパレード的なお寺さん。
やはり真言宗の寺院に多いものです。




六地蔵



寺域入口左手には、
なんとも写実的で躍動的な、
こんな六地蔵




吽形仁王尊阿形仁王尊




その先には左右に同様の阿吽の仁王尊です。
なんともシュワちゃんチックな筋肉系です。



不動尊
石灯篭と寝釈迦




境内所狭し並ぶ、石造仏像群。
こんな不動明王や、寝釈迦の他にも、
羅漢が多数居座って、睨みをきかせておりました。




釈迦堂



さて、本堂左手にあるこの釈迦堂に、
今日のお参りの目的の、
清凉寺式釈迦如来立像が祀られているようです。
しかし残念ながら、ご開帳は花祭り(4月8日)だけなんだって。
今年の花祭りは水曜だね。
こりゃ当分、お会いできそうにありません。



なお、「木造釈迦如来立像」は、
千葉県指定有形文化財
この「正覚院釈迦堂」は、
八千代市指定文化財に登録されています。
清凉寺式釈迦如来は、
是非下記の市の公式サイトをご覧下さい。



→ http://www.city.yachiyo.chiba.jp/profile/bunkazai/bunk01.html
→ http://www.city.yachiyo.chiba.jp/profile/bunkazai/bunk05.html




鴨鴛塚



釈迦堂右奥には、この「鴨鴛塚」。
さて、このお寺はそもそも、
「鴨鴛寺」という寺号が示す通り、
発祥にオシドリ伝説があるのです。
またまた日本昔話調に進行しましょう。




昔々、保元年間(1156〜1159)の頃のことじゃ。
平真円(たいらのしんえん)という、
狩りを好んだ武士がおってのぅ、
阿蘇*1で、
雄のオシドリを射止めて持ち帰ったそうじゃ。
その夜にのぅ、若い女が真円の枕元に訪ねて来て、
「あなたは私の夫を殺した。」と嘆いたんじゃ。



真円が「わしゃ知らんぞよ。」と答えると、
女はこんな歌を詠んだんじゃと。





「日くるれば誘いものを阿蘇沼を まこもがくれの一人寝ぞ憂き」




翌朝、昨日仕止めた雄のオシドリをみると、
クチバシを合わせ、雌のオシドリが死んでいたそうじゃ・・・。




真円は、自分の行いを深く悔いて、
出家して草庵を建てたのが、
この池證山・正覚院・鴨鴛寺となったのじゃ。




・・・悲しいお話だね。
この近隣には落城の伝説が多くあるので、
本当に人間の夫婦間で、
それに近い伝承があったのかもしれない。




八千代八福神 毘沙門天




さて、釈迦堂裏には、
八千代八福神の毘沙門天





→ 八千代八福神




なんじゃ、八千代八福神って・・・?。
ははーん、吉祥天が加わっているんだね。
八千代だから、八なのかなぁ〜。




吉橋大師第七十三番札所




おぉっ、ここに、
吉橋組大師講八十八ヶ所第七十三番札所がっ。
吉橋大師講は、まさに後の世の、
広義の「習志野」に展開する札所です。




石段 由緒




この石段の手前右手にはこんな碑があります。
どうやら、昭和二十九年(1954)の七月、
「東京亀戸」の「杉山大助」さんの遺志で、
建てられた石段なんだそうです。




石段




この石段を上がると、
墓地の左側、案内板の下に、
宝篋印塔と五輪塔がありました。





宝篋印塔・五輪塔




損失している部分の多い「宝篋印塔」ですが、
八千代市指定文化財に登録されています



 
→ http://www.city.yachiyo.chiba.jp/profile/bunkazai/bunk06.html




本堂



最後になりましたが、
本堂の大日如来にご挨拶をして、



鐘楼




真新しい鐘楼の横を抜け、
正覚院さんを後にして、
このまま徒歩で、七百余所神社へと向かいます。




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*1:佐倉風土記にある、現存しない八千代市内にあったと伝わる沼。