宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来
276-0028 八千代市村上1530-1
さて、八千代市立郷土博物館で下調べを済ませ、
車を博物館に停めたまま、
すぐ近くのこの正覚院さんに徒歩で伺いました。
参道入口にはこんな大きな石標です。
こりゃ、結構大きなお寺なのでは・・・。
期待は膨らみます。
神社仏閣巡りを趣味としていると、
「あっ、この手か。」
と、いう匂いを感じることが多々あります。
御目出度いものの、オンパレード的なお寺さん。
やはり真言宗の寺院に多いものです。
寺域入口左手には、
なんとも写実的で躍動的な、
こんな六地蔵。
その先には左右に同様の阿吽の仁王尊です。
なんともシュワちゃんチックな筋肉系です。
境内所狭し並ぶ、石造仏像群。
こんな不動明王や、寝釈迦の他にも、
羅漢が多数居座って、睨みをきかせておりました。
さて、本堂左手にあるこの釈迦堂に、
今日のお参りの目的の、
清凉寺式釈迦如来立像が祀られているようです。
しかし残念ながら、ご開帳は花祭り(4月8日)だけなんだって。
今年の花祭りは水曜だね。
こりゃ当分、お会いできそうにありません。
なお、「木造釈迦如来立像」は、
千葉県指定有形文化財、
この「正覚院釈迦堂」は、
八千代市指定文化財に登録されています。
清凉寺式釈迦如来は、
是非下記の市の公式サイトをご覧下さい。
→ http://www.city.yachiyo.chiba.jp/profile/bunkazai/bunk01.html
→ http://www.city.yachiyo.chiba.jp/profile/bunkazai/bunk05.html
釈迦堂右奥には、この「鴨鴛塚」。
さて、このお寺はそもそも、
「鴨鴛寺」という寺号が示す通り、
発祥にオシドリ伝説があるのです。
またまた日本昔話調に進行しましょう。
昔々、保元年間(1156〜1159)の頃のことじゃ。
平真円(たいらのしんえん)という、
狩りを好んだ武士がおってのぅ、
阿蘇沼*1で、
雄のオシドリを射止めて持ち帰ったそうじゃ。
その夜にのぅ、若い女が真円の枕元に訪ねて来て、
「あなたは私の夫を殺した。」と嘆いたんじゃ。
真円が「わしゃ知らんぞよ。」と答えると、
女はこんな歌を詠んだんじゃと。
「日くるれば誘いものを阿蘇沼を まこもがくれの一人寝ぞ憂き」
翌朝、昨日仕止めた雄のオシドリをみると、
クチバシを合わせ、雌のオシドリが死んでいたそうじゃ・・・。
真円は、自分の行いを深く悔いて、
出家して草庵を建てたのが、
この池證山・正覚院・鴨鴛寺となったのじゃ。
・・・悲しいお話だね。
この近隣には落城の伝説が多くあるので、
本当に人間の夫婦間で、
それに近い伝承があったのかもしれない。
さて、釈迦堂裏には、
八千代八福神の毘沙門天。
→ 八千代八福神
なんじゃ、八千代八福神って・・・?。
ははーん、吉祥天が加わっているんだね。
八千代だから、八なのかなぁ〜。
おぉっ、ここに、
吉橋組大師講八十八ヶ所第七十三番札所がっ。
吉橋大師講は、まさに後の世の、
広義の「習志野」に展開する札所です。
この石段の手前右手にはこんな碑があります。
どうやら、昭和二十九年(1954)の七月、
「東京亀戸」の「杉山大助」さんの遺志で、
建てられた石段なんだそうです。
この石段を上がると、
墓地の左側、案内板の下に、
宝篋印塔と五輪塔がありました。
損失している部分の多い「宝篋印塔」ですが、
八千代市指定文化財に登録されています
→ http://www.city.yachiyo.chiba.jp/profile/bunkazai/bunk06.html
最後になりましたが、
本堂の大日如来にご挨拶をして、
真新しい鐘楼の横を抜け、
正覚院さんを後にして、
このまま徒歩で、七百余所神社へと向かいます。
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