東京都立浜離宮恩賜庭園 〜可美真手命像〜

浜離宮 大手門橋





国指定特別史跡・国指定特別名勝 旧浜離宮庭園
104-0046 中央区浜離宮庭園1-1
公式サイト(公園) http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/outline028.html
公式サイト(庭園) http://teien.tokyo-park.or.jp/contents/index028.html




銀座や汐留、築地の企業に訪問。
その、とある会社のビルの上から、
足元に見える旧浜離宮庭園を望めば、
庭園の左側に美しい黄色い絨毯のような大地が見えます。
菜の花畑のようです。(写真撮り忘れちゃった・・・。)




浜離宮といえば、元々は寛永年間(1624〜1644)頃までは、
徳川将軍家の鷹狩りの場所であり海辺の芦原だったようです。
四代将軍家綱の弟、甲斐国甲府藩藩主・徳川綱重が、
承応三年(1654年)兄より許されここに海を埋め立てて、
最初に甲府浜屋敷を建てました。
その後にこの綱重の子の綱豊が、六代将軍家宣になったので、
この浜屋敷は将軍家直々の別邸となって、
その名も「浜御殿」と変えられました。
その後もその歴代将軍により、改修工事が行なわれて、
江戸城の出城として行楽や接待の場として用いられ、
十一代将軍家斉の世(1787〜1836)にほぼ現在の姿となったようです。
明治維新後は、江戸城と同様、皇居の離宮となり、
名も現在の「浜離宮」へと変わりました。
しかし関東大震災や戦災によって、
歴史的な建造物や、大樹はほぼ焼失したと聞いていたので、
私はまったく興味がなく、今まで一度も訪れたことはありません。




昭和二十年(1945)に東京都に下賜され、
昭和二十一年(1946)に有料で一般公開。
昭和二十三年(1948)には国の名勝及び史跡になり、
昭和二十七年(1952)には周囲の水面を含めて、
国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。




大手門




大手門を入り、中に入ります。
出入口は、ここの他、
汐留・浜松町に近い、中の御門と、
築地川河口の水上バス発着所の三箇所です。




三百年の松




管理事務所のある大手門から入場すると、
まず最初に驚かされるのが、
この「三百年の松」です。
宝永六年(1709)、六代将軍家宣が、
庭園を大改修した際、その偉業を讃え、
植えられた黒松と伝わります。
土手から園内に垂れるように伸びる大樹です。





内堀石積修復工事




さて、この元御殿、前離宮、現庭園は、
海水を引き入れた潮入りの池を利用したものです。
その為の一つの内堀の石積みが、
樹木の根や、風化により損傷が厳しく、
現在一度解体し、積み直す工事をしています。




石材仮置き場




さすがは国指定の特別史跡特別名勝ですから、
石、一つ一つに番号がふられ、
また組み直されて復元されるようです。 




菜の花畑




これがビルから見えた黄色の絨毯の、菜の花畑。
この地は元々、浜御殿に揚げられた物資の港湾施設
「籾倉」だった場所なんだって。




お花畑=籾倉




梅と菜の花のコラボレーション。
白梅が相手では、
あの河津桜にはかなわないねぇ〜。




旧稲生神社




さて、このような公営の施設には珍しい、
元々この地にあったという、稲生神社という名の神社を、
修復復元したという「旧稲生神社」です。




手水鉢



修復復元の説明板によると、
どうやらこれは稲荷神社だったということですが、
このトロけかけたこの石の手水鉢には、
八幡神の様な三つ巴の紋がありました。




庚申堂鴨場




興味深かったのは、二つあった鴨場です。
写真はその内の「庚申堂鴨場」ですが、
周囲が土手に覆われて、
池の内部が外部と遮断され、
鳥達が寛げる構造になっています。




庚申堂鴨場〜覗き小屋




この小屋から内部を覗き込み、
様子を伺いながら、
稗・粟などの餌と、
良く飼い慣らした囮のアヒルを放ち、
周囲に伸びる引掘におびきよせます。





庚申堂鴨場〜ここに追い詰める




好機をみてこの土手から覗き、
陰から出て網で掬って捕獲します。
鴨は急に上に飛べないので、
細い引堀では、すぐに捕まえられたそうです。




アオサギとカモたち




現代では、ただの水鳥の安息場となったこの旧鴨場です。
あらま、ここにもアオサギがいます。




鴨の塚の碑



しかし、ここでこのような狩りで亡くなった鴨は星の数・・・。
昭和十年(1935)宮内庁鷹匠、戸部与四郎は、
この二つの鴨場で亡くなった鴨の為、
ここにこの「鴨の塚の碑」を建立しました。




将軍お上がり場




さて、ここは、
水上バスの発着所すぐ近くにある、
「将軍お上がり場」の跡です。
征夷大将軍隅田川を船で下り、
この御殿に来るために乗降した場所ですが、
階段の一部は昭和二十四年(1949)のキティ台風で崩壊しました。




お上がり場の扉の跡




しかしながら、この門柱や扉の跡も現存しています。
明治元年(1868)、大政を奉還した、
最後の十五代将軍慶喜は、
大坂から軍艦開陽丸で逃げ帰り、
ここから上陸して騎馬で江戸城に戻ったそうです。
本来、江戸城から船で来て、
行楽や接待の場として利用した、
この御殿の、その石段を、
そんな重苦しい思いで登った将軍も、
おそらく彼たった一人であったことと思われます。






可美真手命銅像可美真手命銅像(近景)



さて久しぶりの銅像ネタ。
こちらの「可美真手命」は、
饒速日命長髄彦の妹三炊屋媛の間の子。
神武天皇の東征に従って軍功を立てたという軍神です。
この銅像は明治二十七年(1894)明治天皇の銀婚式を記念した、
陸軍省の懸賞に当選したものなんだとか。




お伝い橋から中島の御茶屋



この浜離宮の象徴でもある、
「潮入りの池(大泉水)」に浮かぶ、
「中島の御茶屋」に伸びる「お伝い橋」です。




ただこの辺りは皆最近の復元なので、
あまり私の好奇心の食指は動きません。




花木園




しかしまあ、ほんの少しの時間内で、
ほとんど駆け足で見所だけを巡りました。
今一度ゆっくりと訪れ、散策してみたいスポットです。




にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← 二つのブログランキングに参加しております。
人気ブログランキングへ ← よろしかったら応援クリックをお願い致します。