早川徳治像

104-0061 中央区銀座4-1-2
日比谷線銀座駅構内コンコース(B6出入口付近)




これはブログ休止中のこと。
PCをいろいろと調べていると、
地下鉄銀座駅のコンコースに、
日本hpの商品展示スペース、
銀座Directplus Station*1があると知りました。



早川徳治像



早速行ってみると、それに隣接して、
こんな胸像がひっそりとありました。
どうやら「日本地下鉄の父」と呼ばれている、
川徳治さんという方の銅像のようです。
「日本鉄道の父」、井上勝さんついては、
元よりよく存じておりましたし、
過去にここで記事にもしました。




→ 井上勝像




しかし「地下鉄の父」は初耳です。
川徳治さん?なんか聞いたような名前ですが、
正直、よく知りません。




参考サイト → 早川徳次 (東京地下鉄道) - Wikipedia




ウィキってみるとこんな方。
長い記事なので、ちょっと短くまとめてみました。




家電メーカーシャープの創業者で、
シャープペンシルを発明した、
早川徳次さんとは同姓同名の別人です。




明治十四年(1881)山梨県出身。
旧制第六高等学校(現・岡山大学)に入学するも、
病気で中退し、その後上京して早稲田大学に入学します。
始めは政治家を目指し後藤新平の書生となりますが、
卒業後は後藤が総裁を務めていた満鉄に入社し、
その後、また後藤を追って鉄道院に入局。
ここで同郷で東武鉄道の創業者である、
根津嘉一郎と出会います。
根津が買収した佐野鉄道(現・東武佐野線)や、
赤字続いていた高野登山鉄道(現・南海高野線)を建て直し、
「根津の右腕」と呼ばれるようになっていきます。
大正三年(1914)のヨーロッパ視察ので、
ロンドンを訪問。そこで地下鉄の発達に驚嘆し、
これからは東京にも地下鉄が必要だと強く信じ、
鉄道省東京市に建設を薦めるも、
早川のその先見性は全く理解されません。
大正九年(1920)ついに独力で、
東京地下鉄道株式会社を設立し、
大正十四年(1925)に地下鉄工事を開始します。
幾多の困難を乗り越えて、
ついに昭和二年(1927)に、
浅草・上野間を開業させました。
その後、これが新橋まで伸び、
銀座線となりますので、
ここにこの銅像があるんですね。




晩年は、「強盗」と恐れられた、
五島慶太東京高速鉄道と揉め、
和解の条件として、引退を受け入れ、
故郷に帰り、失意のうちに世を去ったそうですが、
彼が娘に語っていたという、
「東京中がクモの巣のように地下鉄で張り巡らされる日が来るだろう」
という夢は、現実のものになりました。




なおこの銅像の製作は、
彫刻界の巨匠、朝倉文夫さん。
過去に二度、
ここで彼の銅像を紹介しています。




→ 太田道灌像
→ 渋沢栄一像




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*1:現在都合により休止中だそうです。