宗派 無宗派 (天台宗別格本山・浄土宗別格本山)
本尊 一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)
380-0851 長野市善光寺491
公式サイト http://www.zenkoji.jp/
ほとんどいつもと同じ時間に家を出て、
東京駅から長野新幹線あさまで長野駅へ。
両駅ともにすっかり「御開帳」モード一色で、
すっかり気持ちを盛り上げて頂けます。
長野駅に10時に到着。
女人救済の寺を象徴する如是姫像にご挨拶して、
駅レンタカーでフィットを借り、
タヤパンの運転で、
ともかく善光寺の「大門」交差点近くの駐車場を目指します。
一般には「牛にひかれて善光寺。」と言いますが、
私達は「牛(タヤパン)の運転で善光寺。」(笑)
もっともタヤパン、ダイエットで痩せてからは、
"牛"度がすっかり下がっておりますが・・・。
長野の街は所々に渋滞しています。
しかしこれが御開帳によるものなのか、
普段を知らないだけに分かりません。
ただ桜はちょうど見ごろのようです。
今年は桜が二回観れてお得でした。
浄土宗の本坊、大本願を左手にみて、
「仁王の股くぐり」で有名な、
松戸の萬満寺がそのモデルになったという、
阿吽が左右逆にいらっしゃる、
高村光雲・米原雲海の金剛力士を祀る、
大正七年(1918)に再建された仁王門をくぐります。
途中、塔頭の世尊院さんの寝釈迦堂でも、
同じようにご開帳が行われ、
本堂と同じように回向柱が建てられています。
途中、延命地蔵に一礼し、
仲見世を抜け、左手に天台宗の本坊、大勧進、
右手に六地蔵・濡れ仏の辺りに、
「最後尾」という看板を持った警備員さんがいらっしゃいます。
そうです。この長い列は、皆さん、
御開帳されている前立本尊の右手と、
紐で結ばれたこの「大回向柱」に、
ただ触れる為に並んでいるのです。
鳩と牛が隠れている輪王寺宮筆の有名な扁額のかかる、
寛延三年(1750)建立の重要文化財の山門をくぐり、
30分ほど並びようやく回向柱に到着しました。
古から松代藩から寄進されていたという、
樹齢270年の太く長い柱に、祈りが込められます。
この今年の柱は、まだたった一週間の祈りの充電ですが、
触れるとビビビっと痺れました。
ご開帳されている前立ご本尊と、
この紐で結ばれています。
さて、江戸時代の建築物としては珍しい国宝に指定された、
宝永4年(1707)再建のこの堂々とした善光寺の象徴の本堂。
高さ約27m、間口は約24m、奥行約53mと、かなり大きな国宝です。
500円支払い「参拝之証」をもらい、
本堂右側「内陣・前立本尊参拝御入口」に並びます。
ここからは撮影禁止。
幾多の人々に撫で続けられ、
目の窪みすら無くなった「びんずる」様。
ついつい、最近痛くてたまらない、左肩をさすってしまいました。
これまた30分近く並び、ようやく御開帳の前立本尊に拝します。
焼香する直前に、ちょうど正午になったのか、
絶対秘仏の本尊の瑠璃壇の幕が上がりました。
なんだか感動・・・。
一旦本堂左手から外に出て、
本堂後方をぐるりと並び、
本堂右手に廻る長い列。
伝説の「ねじれ柱」を見て、
ご朱印を頂き、本堂奥の地下入り口に到着しました。
これは真っ暗な本堂の下に潜り込み、
絶対秘仏のご本尊真下の、
極楽の錠前に触れる「ご戒壇巡り」。
不謹慎ながら、文化祭のお化け屋敷感覚で、
わいわい大騒ぎで列に並ぶ我々は、
ご錠前には無事触れましたが、
「極楽浄土約束」も、
「生まれ変わり」も、あやしいものです。
真田家供養塔、
徳川家廟所、
佐藤継信・佐藤忠信兄弟供養塔、
等などの古い石塔群は、
私達の本質の掃苔です。
三重塔を模した忠霊殿は、戦没者を祀っています。
その下にある善光寺資料館は、
あまり期待していなかったものの、
なかなか仏像が立派でした。
こちらは親鸞が爪で彫ったという、
「爪彫阿弥陀如来」。
最近?のお坊さんでは、親鸞が、一番、
温泉をみつけたり、杖を大木にしたりと、
もっとも器用な方かもしれません。
歴代の回向柱が眠るかのようなこちらです。
七年に一度といっても、数え年なので、
実際には六年間隔な訳ですが、
なぜ古いものは短いんだろうか。
地中に沈んだのか、それとも折れて差し直したのか。
結局理由は分かりませんでした。
「南無阿弥陀仏」が刻まれた石車「輪廻塔」を回し、
今では回せないものの、やはり重文の「経蔵」の入場までが、
500円の「参拝之証」の範囲です。
授与品所で買った、
回向柱を模したお守りストラップは、
今回のお遍らーず三名のお揃いですが、
仲見世の有名な唐辛子屋さんの、
「根元 八幡屋礒五郎」のプチ缶ストラップは、
ワサビ派のタヤパンには「邪道」だそうで、
私とジャラオの二人のみです。
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