新宿総鎮守
祭神 倉稲魂命・日本武尊・受持神
160-0022 新宿区新宿5-17-3
公式サイト http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/top/
サルメガネのアシストで、
新宿三丁目駅近くの企業を訪問しました。
飯田橋の事業所にいて、
神楽坂に住んでいた頃には、
この歌舞伎町の辺りは、
まるで庭のような場所でした。
しかし最近は"新宿"と云えば、
西新宿の高層ビル街ばかりで、
この周辺を訪れるのはとても久しぶりのことです。
当時はよく酔っ払って通り抜けていた、
花園神社を改めてお参りしました。
新宿を舞台にする小説・ドラマ・映画に、
必ず登場するこちらです。
この靖国通りの雑踏としたビルの合間に、
ぽつりとここにあるものですから、
待ち合わせや、休憩場所として、
その存在感は抜群です。
5月23日(土)〜25(月)まで、例大祭が行われるようで、
境内には準備をする業者の方々で大騒ぎでした。
本来の正面はこちらの明治通側。
その向かい側にある花園饅頭は、
新宿区民当時はいつも贈答品に"ご用達"でした。
歴史は浅いものの平成八年(1996)に建てられた大鳥居。
新宿区内では一、二を争う大きさなんだとか。
創建以来、何度も大きな火災に遭い、
灰燼に帰した社殿ですが、
この拝殿は戦後老朽化を理由に、
昭和四十年(1965)に鉄筋コンクリート造りで建てられたものです。
「花園稲荷神社」という別称でも有名なこちらですが、
正確には、三柱の祭神が祀られているのです。
扁額の順、左から、
「雷電神社」
「花園神社」
「大鳥神社」
と、あり、
拝殿内も三箇所に別れ、
祭神は順に、
「受持神」
「倉稲魂命」
「日本武尊」
と、なります。
さて、こちらの詳しい創建や由緒は不明ですが、
徳川家康が江戸に入る前から存在していた、
大和吉野山よりの勧請されていたという古社で、
幕府開府後、当地に内藤新宿が開かれると、
その鎮守として祀られたそうです。
そもそも別称通り、こちらは"お稲荷様"で、
明治には「村社」に列し、名称は「稲荷神社」となりました。
これは一説には届出に「花園」を書き忘れたということで、
大正には改名され「花園稲荷神社」となりました。
これが今も根強い別称の理由です。
しかしその後の昭和三年(1928)に雷電神社を合祀し郷社に昇格します。
また昭和四十年(1965)本殿の建て替えと同時に、
末社だった大鳥神社を本殿に合祀して現在の社名「花園神社」に改称されました。
拝殿向かいにある、納め大明神。
こちらは本来、古いお札を納める祠のようですが、
「怒り」を納めてくれという貼紙もありました。
なんとも有難いお堂です。
今日、午後三時前、
この小祠の前でブツブツ言っていたのは私です。(冗談)
新宿区の有形文化財に指定された
銅造唐獅子二体です。
文政四年(1821)に名工とされる、村田整岷作なんだとか。
重要なのはわかりますが、
この金網系の狛犬には、いつ観てもちょっとがっかり。
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