宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
160-0022 新宿区新宿2-15-20
続いて新宿の新規顧客の後に、
ぷらぷらと新宿御苑前の顧客へと向かいます。
先日サルメガネのアシストで訪問し、
結果的にはとかげのしっぽきりの自作自演となった、
あの企業への訪問時、とても気になっていたこちらにお参りしてみました。
文禄三年(1594)に開山されたお寺です。
松平容保が最初に葬られたお寺だったそうですが、
会津若松市へ改葬された為、現在は特に何も現存していません。
境内に入ると、すぐに右手にこのお堂。
奪衣婆を祀るお堂ですから、
奪衣婆堂と呼ぶべきか。
さてこちらの正受院の奪衣婆さんは、
小野篁作とも伝わり、
元禄年間(1688〜1704)からここに祀られていました。
頭に綿を被っているからか「綿のおばば」と呼ばれ、
江戸時代、民衆の信仰を篤く集めたそうです
咳止めやら、子供のの虫封じ、
盗賊除けだの、火伏せだのと伝説は膨らんで
嘉永二年(1849)頃にはあまりに盛況過ぎたので、
寺社奉行の制限を受けて、
正月とお盆以外の参詣が禁じられたとか。
また毎年二月八日には、特大の豆腐に針を刺す供養の大法要が行われることからか、
昭和三十二年(1957)建立の大きな「針塚」という石碑と、
和裁で初めて人間国宝の指定を受けたという、
小見外次郎氏の胸銅像がありました。
さてこの梵鐘、
宝永八年(1811)に鋳造されたものの、
やはり戦時中に金属供出で没収されました。
しかし戦後アイオワ州から帰って来た、
奇跡の「平和の鐘」なのです。
って、、、同様の話を、
このブログで何度したかもう忘れちゃいましたけど・・・。
まぁ、鐘にはいろいろと彫られていますから、
比較的持ち主に戻りやすいものの代表格であったことでしょう。
おいおい、そこの猫さん。
あんた、なにもそんな小さなところに無理していなくたって、
まだまだ他に、高いところはあるでしょうに。
あははっ。(笑)
さてここと同じ町内、
歩いて数分に江戸六地蔵の一つでも紹介した、太宗寺があります。
→ 霞関山本覚院太宗寺]
こちらには、都内最大級のお閻魔様がいらっしゃり、
やはり「葬頭河(しょうづか)の婆さん」と呼ばれた奪衣婆がいらっしゃいます。
同じ町内の同じ奪衣婆ながら、
こちらは明治三年(1870)作と伝わり、
一説には昭和八年(1933)の改作だという新しいものです。
見た目もかなり違いますが、
正受寺が、咳止め、虫封じ、盗賊除、火伏せに対し、
太宗寺は、妓楼の商売神だったとか。
なるほど、おばさんパーマに、そのママさん的な特徴が伺えます。
おそらくもししゃべれば、
酒とタバコで、しゃがれ声に違いありません。(笑)
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