最近、殿の勅命で、
担当に出戻った得意先に対し、
他の事業部が仕出かした、
ミス・クレーム対応に当たっていたら、
突然携帯がブルブル・・・。
・・・なんと殿からの直電です。
もうバレたのか・・・。と、
朝の誤報の緊急地震速報よりも驚いて、
恐る恐る電話に出てみれば、
日本橋の他のビルにある、
会議室へとすぐに来いというご命令。
それまでやっていた作業を投げ捨て、
小走りですぐに伺います。
会議室の扉を開けてみれば、
あれ?、大きな会議の真っ最中。
ああ、このメンバーには記憶があります。
この会議は先月私が、手術入院を理由に、
担当部長に参加を固辞したプロジェクト。
殿はそんな事情も知らず、
是非途中でも助太刀参加して欲しいという、
直々のご指名だったのです。
例のミスクレとは、
まだまったく関係がありません。
はぁ〜、もうイヤっ・・・。
そんな訳で今日は貯金ネタで失礼します。
さて新しい職場のすぐ近く、
この日本橋郵便局は、ご覧の通り、
日本郵便の発祥の地であるそうです。
日本郵便、郵便制度の父といえば、
この一円切手でもお馴染みの前島密(ひそか)。
やはり予想通り、
胸像ではありますが、
銅像がありました。
石壇正面の書は、
時の郵政大臣、迫水久常。
「郵便発祥の地」とあります。
石壇向かって右側面には、
と、あります。
日付もピタリ、九十周年に、
ここにこの銅像を建立したのでしょう。
石壇裏側には、
神社仏閣詣を趣味にしている者にとっては、
お馴染みのこの「青山 石勝 刻」とあります。
これは、今や東急グループになっているものの、
元々有名な石匠集団である会社です。
→ http://www.ishikatsu.co.jp/index.html
この胸像もその時に造られたものと、
皆思ってしまって当然ですが、
この胸像の裏側を観ると、
それはどうも違うようです。
胸銅像裏側には、
こう刻まれておりました。
前島男爵ノ命ニ依リ
密翁ノ像ヲ補綴改鋳ス
昭和十二年三月
会田富康
この胸像部分は、
かなり早い時期に造れらたもので、
爵位を相続した子の命で、
戦前、昭和を代表する金工作家、
会田富康が改鋳したようです。
胸像で規模も小さく金属供出も逃れ、
どこかに保存されていたものが、
郵便九十周年を記念して、
ここに担ぎ出されたものなのでしょう。