大悲山 笠森寺 観音堂 (笠森観音) その二

宗派 天台宗
本尊 十一面観世音菩薩
297-0125 長生郡長南町笠森302
公式サイト http://kasamori.jp/



→ 【坂東第三十一番】大悲山 笠森寺 観音堂 その一



この月刊 ぐるっと千葉 2009年 11月号 [雑誌]で、
笠森寺さんのご開帳を知りました。
今年・丑年の七年ぶりというこのご開帳が、
信州善光寺下総三山の七年祭と一緒なので、
同じく数え年で七年、丑年と未年の六年間隔なのかと思ったら、
こちら丑年と午年なんですね。
ですから次は五年後です。



さて、ともかく今回の御開帳は11月18日(水)までなので、
今日は東邦大学の学園祭に行くつもりでしたが、
よくよく笠森寺の記事を読んでみると、
「※雨天閉堂」とのただし書き・・・。
来週、雨が降らないとも限りませんし、
次週はそろそろ紅葉のシーズン、、、
養老渓谷に向う渋滞に巻き込まれてしまうかもしれません。
えーいっ、いっちゃえ。
嫌がる家族を無理矢理車に乗せて、
朝九時半に習志野を出発です。



およそ約一時間、笠森寺下の無料駐車場に到着しました。
さすがに七年ぶりのご開帳、駐車場も満車です。



女人坂


どうにか車を停めて、巨大樹が並ぶ、
国指定天然記念物の笠森寺自然林、
参道、女人坂を登ります。



女人坂 切り通し



オスグットの長男にはちょっと辛い、
この女人坂の切り通し。



名木 三本杉 
つながっている三本杉



巨大な名木・三本杉です。
よく根元を見てみると、
三本は横につながっているんです。 



子授け楠
子授け楠と次男



四年前のその一では、
子供達はこの霊木・子授け楠に、
はしゃいで、何度もくぐっていましたっけ。
さすがに今では冷静です。






芭蕉句碑




芭蕉句碑です。
前回は上に上がれたような記憶があります。




息子達と二天門
風神
雷神





これも前回にもupした二天門です。
やはりなんとも人間味の溢れたユーモラスな風神・雷神様です。




観音堂と回向柱と次男



さて、国の重要文化財に指定された
日本唯一の「四方懸造り」観音堂、大悲閣。
やはり素晴らしい建築物です。
善光寺と同様にやはり大きな回向柱が建てられています。
おそらくこの五色の紐はご本尊と結ばれていることでしょう。



観音堂 正面真下より
観音堂 正面右側より
観音堂 正面左側より


改めて四方から観音堂を仰ぎ見ます。
いやいや本当に凄いね。
延暦三年(784)伝教大師最澄が楠の霊木で、
十一面観世音菩薩を刻み、
この岩山上に安置して開基されたとされる笠森寺観音堂





観音堂階段下
仰ぎ見る観音堂階段
岩場に組まれた四方懸造1
岩場に組まれた四方懸造2




長元元年(1028)後一条天皇の勅願で建立されたとされますが、
昭和の解体修理の際に発見された墨書銘によれば、
文禄年間(1592〜1595)の再建のようです。
ま、そんな細かいことは気にしません。




観音堂上より境内を望む
観音堂上より
観音堂上よりみた笠森寺自然林



観音堂はまるで天の上にあるようですが、
それでもその目線よりも高い木が横に聳えます。
とにかく人間の小さなこと、ちっぽけなこと。




五色幕に包まれた日蓮参籠の間
堂内撮影禁止




五色幕に包まれた観音堂
日蓮参籠の間もその中です。
堂内は残念ながら撮影禁止。
ご本尊は思ったよりも大きなお姿。
十一面観音なんだそうですが、
お顔と胸元付近のみしか拝せませんので、
頭上のお顔は確認出来ません。
しかし確かに、水瓶ではなく
お地蔵様のような錫杖をもっていらっしゃいます。



宝篋印陀羅尼塔



さて、下界に降りました。
これは宝篋印陀羅尼塔。
その名の通り、
「陀羅尼」が納められているのでしょう。




子育地蔵尊堂
子育地蔵尊




六角の子育地蔵堂には、
菊の柄の法衣をまとった子育地蔵尊
とても穏やかなお顔です。



沖縄塚



このお地蔵様が建つのは「沖縄塚」。
沖縄で亡くなった二十四万名の精霊を弔うため、
現地の岩石を埋納しているそうです。
合掌。



鐘楼
興楽の鐘




この「興楽の鐘」は、
30秒以上あければ、自由についていいというもの。
しかし、この山に響く鐘の音はとても気持ちのいいものでした。





長南 観光案内板



う〜ん、駐車場まで降りてみれば、
この長南の観光案内・・・。
ちょっとまだ参拝したい寺院がいっぱい。
ちょっとお参りしてみます。




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