宗派 天台宗
本尊 福寿阿弥陀如来
297-0121 長生郡長南町長南969
公式サイト http://www.choufukujuji.com/
さて一応、神社仏閣参拝ブログを名乗っているこちらですから、
お寺の名前は正式名称にこだわっております。
今回ついに日本一長い勅号のお寺にご縁があって参りました。
タイトル通り、
「三途河頭極楽東門蓮華臺上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺」
一般には、「三途臺 長福寿寺」さんと呼ばれています。
勅願寺らしく菊の御紋が掲げられています。
桓武天皇の勅願により、
こちらも笠森寺さんと同様、
伝教大師最澄によって延暦十七年(797)に創建され、
その後、文和年中(1353)に比叡山恵光坊義憲僧上により再建されたこちらです。
当時は、後の江戸初期の世に天海が寛永寺につけた、
東の比叡山「東叡山」の山号は、
ここに称されていたほどの、
房総三国の天台宗の大本山であり、
代表的な「壇林」であったのです。
この本堂は、信長の比叡山焼き討ち後の再建された根本中堂が、
家光の時代に再建されたので、
その解体した材木を再利用したものなんだそうです。
ですからこの本堂は「根本中堂」の号が許されているそうで。
本堂内部を失礼しました。
ご本尊は「福寿阿弥陀如来」。
坐像で四尺五寸あるそうです。
元々は京都の有名寺院の本尊でしたが、
承応三年(1653)にこちらに勧請されました。
恵心僧都源信の作ともいわれているそうです。
本堂右手のこれは「けむりの木」。
確かに煙りのようで面白い。
これだけ大きいものは珍しいそうです。
初めてみました。
この銅造宝篋印塔には、
「太田駿河守」の銘がみえます。
太田駿河守といえば神田の鋳造師で、
あの江戸六地蔵は彼の手によるもの・・・。
と、いうことは、
この本堂右手の銅造釈迦如来坐像は、
同じく太田駿河守によるものか・・・。
銘を探しますが見当たりません。
しかし、年代は台座と蓮座に二つ異なりますが、
享保六年(1721)、九年(1724)と二つの銘があります。
ほぼ太田駿河守正義と同年代。
彼の手によるものでもおかしくはありません。
さてこの慈恵大師堂には、
坐像の十一面観音の後ろにお不動様、
そしてその後ろに慈恵大師良源のお姿が、
曼荼羅の手前にありました。
なんともありがたいお堂でございます。
新上総国三十三観音霊場の第四番札所でもある観音堂は、
人形供養のお堂でもありました。
居並ぶお人形に圧倒されてしまいました。
またこちらの境内にはバンガローや、テニスコートもあり、
「仏像作り教室」や、座禅会など、
とても多様な試みをしているお寺です。
さて執拗にお寺を徘徊していると、
本堂右手でBBQをしていた方々の一名様から、
「ご熱心なご研究で・・・。」と、
お声を掛けていただきました。
この方、副住職様とのこと。
どうも大変失礼しました。
不審な参拝客で申し訳ございません。
まだ質問があるようならば、
奥で住職様へどうぞと勧めて戴くも、
お手を煩わせては申し訳ございません。
いや、お世辞抜きで、素晴らしいお寺ですね。
またお参りさせて頂きます。
本日はありがとうございました。
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