毎度の無償の早出の金曜。
車の争奪戦に破れ、
神田分園の出張朝礼から、
とぼとぼと日銀通りを、
下を向いて歩いていると、
なんだこりゃ?!と足が止まりました。
「↓」の部分です。
「許特 式本山」??。
何の本山?。いやいや違います。
これは右横書きで書かれたもの。
つまりは「特許 山本式」。
この「右横書き」ネタで、一本記事も書けるほどですが、
それは遠慮して下記「質問サイト」のやりとりをご覧下さい。
→ 字を左から右に書くようになった訳は? -日本語は昔、右から左に書いて- その他(教育・科学・学問) | 教えて!goo
と、いう訳で、この通り、
この「右横書き」は、
戦前か戦後間もない頃のもの。
なんだろうかこれ?。
何度も道路工事を繰り返して来た中で、
埋められずに現存しているということは、
現在も何らかに使用されているはずです。
→ 神田下水 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
この通りの下には、
明治に作られたこの神田下水が通っています。
なにやら歴史のあるものなのかもしれませんぞぅ。
検索してみてもまったくダメ・・・。
近くに同じものもなく、
この「水道制水弁」ばかりです。
座り込んでカバンの中から、
Victorinoxを取り出して、
マイナスドライバーを差し込んでみると、
簡単に開いてしまいました。
蝶番の部分は壊れていて、
完全に外れてしまいます。
フラッシュで中を写してみるも、
あまり深くなく底が見えます。
いったい、これ、なんなんだろう。
ご存知の方がいたら教えてください。
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