武蔵坊弁慶像

103-0013 中央区日本橋人形町36



毎月この時期に毎度ボヤいておりますが、
今夜は、そもそもは月例の御前会議の為の、
そのプレ会議だったはずの聴聞会の為の、
事業所でのその事前会議の為の、
そのまた打ち合わせの為の第一回会議でありまして、
それだけで、夜九時を大分過ぎてしまい、
食事を終えて家に戻ったのは、
もう日付の変わる寸前です・・・。
そんな訳で、これからの更新ですから、
誤字・脱字や、多少の意味不明箇所には、
少々お目を瞑っていただければ幸いです。
数日後には訂正されておりますのでご確認ください。




さてさて、元いお昼の話。
浜町の企業を訪問します。
電車に乗る距離でもなく、
天気もよくでポカポカ陽気。
午後一番、お散歩気分で事業所を出発しました。



武蔵坊弁慶像



人形町と浜町の境の緑道に、
この武蔵坊弁慶さんがいらっしゃいました。
ご丁寧に関所風の冠木門までありますが、
"関所"の先は、公衆便所があるのみです。
弁慶像左手の案内板を読んで見ます。



      弁 慶 像 に つ い て
 今を遡ること三五〇年前、現在の人形町あたりに茸屋町と
堺町という街があった。
 当時この街では、江戸三座といわれていた芝居小屋のうち
市村座中村座の二座が歌舞伎を上演しており芝居街と呼
ばれていた。また、浄瑠璃による操り人形の芝居小屋も数軒
あり、歌舞伎と合わせて庶民の人気を集めていたと言う。
 ここで使われた人形の製作と、修理に当たった人形師達は、
この周辺に住み人形細工と人形の販売をも業としていた。
 以上が人形町の名のいわれとされており、ここ人形町界隈
は、今日隆盛をきわめる江戸歌舞伎発祥の地と呼んでも差し
仕えないといえる。
 この度、緑道の改修に当たって、入口の広場に歌舞伎十八
番の内でも人気のある勧進帳武蔵坊弁慶像を設置するとと
もに、その背面に関所風の冠木門を設けて江戸情緒をかもし
だし、往時をしのばんとするものである。
               中央区土木部公園緑地課

要するに、武蔵坊弁慶そのものの銅像というよりは、
江戸歌舞伎の象徴として「勧進帳」の場面が選ばれたようです。
この案内板には「江戸歌舞伎発祥の地と呼んでも差し仕えない」と、
言葉を濁しておりますが、
その理由は同じ中央区内の京橋にある、
この「江戸歌舞伎発祥の地碑」に遠慮してのことでしょう。




参考サイト → 京橋の「江戸歌舞伎発祥の地碑」




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