田喜野井 子神社

祭神 大己貴命
274-0073 船橋市田喜野井3-16




二週間前の土曜日のこと。
グっさんのお願いを聞き入れて、
まったくのタダ働きではありますが、
船橋習志野周辺の"とある物件"の調査をしました。




→ 社名だの、役職だのというものについて




その時は、車で移動していたので、
ちょっと興味のある神社仏閣を見掛けても、
時間もなく、駐車もしづらく、
後ろ髪をひかれながらも泣く泣く後にしました。




今日の午前中は、まだ先週の疲れが抜けず、
ソファでグロッキーでありましたが、
昼寝の甲斐あり、午後にはちょいと復活しました。
長男のチャリを借りて、歴史散歩ならぬ、
歴史サイクリングと洒落込みましょう。





田喜野井 子神社 鳥居




まず伺ったのは隣町の船橋市立三田中学の横にあるこの神社。
「子神社」と書いて「ねじんじゃ」と読みます。




二宮神社 その → 
→ 「二宮神社」関連の記事 




七年祭にも参加しており、
この二宮神社の「子会社」ならぬ「子神社」か。
祭神は大国様ですが、「大己貴命」と、
二宮神社の「大国主命」と表現が異なります。
これは私の想像ですが、
二宮神社は古代は男性性器のような、
棒状のご神体を祀っていたとされています。
これはどちらかというと国つ神に分類される、
子孫繁栄を祈願する、
大穴牟遅神・大穴持命・八千矛神といった神の象徴。
ここに藤原時平の子孫が流れ着き、
新たに天つ神、スサノオを祀ったので、
その古代神を、一旦近くのここに、
分祀したのがこちらではないのかと・・・。
後に「大国主命」として合祀したものの、
ここがそのまま残ったのではないでしょうか。




田喜野井 子神社 拝殿



ま、そんな無責任な想像はさておき、
境内末社には、御嶽神社や、
古峯神社、三峯神社と盛り沢山。




田喜野井 子神社 境内社 浅間神社




富士塚です。
鳥居、左には小さな丘があり、
弘化三年(1846)に祀られた石祠の、
浅間神社も祀られています。



まだまだ桜、いいねぇ〜。
ただ今週末が最後だね。




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